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「日々雑感」に掲載した曲を纏めました。
ピアノ協奏曲ニ短調 K.466
1984年度アカデミー賞8部門受賞作品の「アマデウス」のエンディングで、映画が終った後の心の高ぶりを優しく静めてくれたのが、「ピアノ協奏曲ニ短調K.466」の第二楽章ロマンツェでした。モーツァルトの短調で書かれた2曲のピアノ協奏曲のうち、「K.466」は古典派の優美なイメージからは想像できない激しい感情を吐露しています。1785年2月、絶頂期に書かれたこの作品は、ウィーンの保守的な貴族の好みに迎合せず、自分の本音を堂々と表現した作品です。第一楽章のシンコペーションの陰鬱な出だし、第二楽章で突然フォルテで奏されるト短調の中間部、第三楽章の激しい上昇主題と独奏ピアノとオーケストラの緊密な関係など、音楽史上比類をみない傑作です。今から40年も前に、私が高校生の時に初めてこの曲を聴いた時の衝撃と、その後間もなくオイレンブルク社のポケットスコアを手にした時の感激を思い出し、感慨に耽っています。正に「人生は短く、芸術は長し」ですね。爾来40年、この曲の第二楽章の澄明なテーマは、もう1曲の短調協奏曲、「ハ短調K.491」の第二楽章とともに、わたしの心の友となり苦楽を共にして来てくれました。クララ・ハスキルのピアノ、マルケヴィッチ指揮ラムルー管弦楽団の演奏で聴きました。
三つのドイツ舞曲 K.605
宮廷舞踏会のシ−ズンのための舞曲を作曲することが本職になってしまった最後の年(1791年2月)の作品から、「三つのドイツ舞曲K.605」を聴きました。第三曲は、モーツァルトの舞曲中最も有名な『橇すべり』と題された曲です。橇すべりは雪の多いウィーンの冬の楽しみの一つで、人々は街の中を、また郊外のプラーター公園を、橇馬車を駆って遊び興じました。馬の鈴の音と郵便馬車のポストホルンを入れて、楽しい雰囲気が写し出されています。最後に橇が遠ざかっていくように鈴の音が小さくなって、余韻を残して閉じるのが印象的です。ボスコフスキー指揮、ウィーン・モーツァルト合奏団の演奏で聴きました。
ピアノ協奏曲変ロ長調 K.456
「ピアノ協奏曲変ロ長調K.456」は盲目のピアニストであり、歌手でもあったマリーア・テレージア・フォン・パラディス嬢のために書かれました。ピアノ協奏曲が最も実り豊かだった1784年の9月に完成された作品です。第二楽章アンダンテは、オペラ『フィガロの結婚』第四幕で歌われるバルバリーナのアリアに似た主題による変奏曲で、このピアニストの可憐さをしのばせるようです。ト短調で書かれていて、爽やかな悲哀感が印象的です。ウラディーミル・アシュケナージのピアノと指揮、フィルハーモニア管弦楽団の繊細な詩情溢れる演奏で聴きました。
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ヴァイオリン・ソナタハ長調 K.303
「お姉さんに、ここからシュースターの6曲のチェンバロとヴァイオリンのための二重奏曲を送ります。ぼくはそれらをここで何度も弾きました。なかなか悪くありません。ぼくもまたこの趣味で6曲作ってみようと思います。」(1777年10月6日付け、ミュンヘンからの手紙)ドレスデンの宮廷楽長ヨーゼフ・シュースターの作品に感化されて出来上ったのが、『マンハイム・ソナタ』として知られる6曲のソナタ(K.301〜K.306)です。シリーズ第三曲の「ヴァイオリン・ソナタハ長調K.303」は、第一楽章がアリア風のアダージョの序奏と動きの多い主部が2回交替するという意欲的なもの。典雅なメヌエットの第二楽章では、朗々としたヴァイオリンの歌が聴かれます。イツァーク・パールマンのヴァイオリン、ダニエル・バレンボイムのピアノで聴きました。
ヴァイオリン・ソナタト長調 K.301
『マンハイム・ソナタ』として知られる6曲のソナタ(K.301〜K.306)のシリーズ第一曲は「ヴァイオリン・ソナタト長調K.301」です。のびやかな優しい出だしに心は平安に満たされ、喜びに包まれます。第二楽章中間部のシチリアーノ風メロディーのメランコリーが素敵です。2楽章構成の簡潔な曲ですが、やわらかな感性の深さが魅力的です。ヒロ・クロサキのヴァイオリン、リンダ・ニコルソンのフォルテピアノによるオリジナル楽器の演奏で聴きました。
ピアノ・ソナタ変ロ長調 K.570
「ピアノ・ソナタ変ロ長調K.570」は1789年2月の作とされていますが、モーツァルトの死後アルタリア社から初めて出版された時には、「ヴァイオリン伴奏付きのソナタ」として出版され、実際にヴァイオリンのパート譜を伴っていました。この間の経緯は明らかではありませんが、現在の通説では、ヴァイオリンを伴う形は他者による編曲であって、モーツァルト自身はあずかり知らないと見られています。晩年の作品に見られる平明で簡潔な様式の中に、澄明な悲しみと諦観に満たされ、第三楽章の天衣無縫とも言えるテーマと共に深く心に残る作品です。内田光子のピアノで聴きました。
フルート四重奏曲ハ長調 K.285b
「フルート四重奏曲ハ長調K.285b」は、マンハイムで知り合ったフルート愛好家ドジャンのために書かれた3曲の四重奏曲の一つ。成立に関しては「フルート四重奏曲ト長調K.285a」と同様の問題を孕んでいて、モーツァルトの未完成の手稿をもとに、ウィーンに移ってから第三者、おそらく弟子の手によって完成されたという説があります。第二楽章は、『グラン・パルティータ』(K.361)の第六楽章とほぼ同じで、他人による四重奏曲への編曲と考えられています。のびやかで軽快な第一楽章のテーマが開放感を与え、アンダンティーノの第四変奏ハ短調の哀感が印象的です。ジャン=ピエール・ランパルのフルート、パスキエ・トリオの演奏で聴きました。
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六つのドイツ舞曲 K.571
晩年のモーツァルトは、ウィーン王宮のレドゥーテンザールでの舞踏会のためにたくさんの舞曲を作曲しました。宮廷作曲家としての主な仕事が、これらの舞曲を作曲することだったからです。「六つのドイツ舞曲K.571」は1789年2月21日に、謝肉祭シーズンの舞踏会のために書かれました。元来ドイツ舞曲はメヌエットに比べると、快活で幾分粗野な面がありますが、モーツァルトのドイツ舞曲は軽妙で優雅な魅力を合わせ持っています。これらの舞曲を聴くと、笑いさんざめく宮廷舞踏会の華やぎの中から、大の舞踏会ファンだったモーツァルトが、一切の虚飾を捨てて親しく語りかけてくるような気がします。ボスコフスキー指揮、ウィーン・モーツァルト合奏団の演奏で聴きました。
ピアノ協奏曲イ長調 K.488
1786年3月、『フィガロの結婚』の作曲と並行して書かれた「ピアノ協奏曲イ長調K.488」は細やかな情感に溢れ、親しみやすく洗練された美しさを備えています。第二楽章シチリアーノ風のテーマのなんとやるせなく切ないこと。ランボーの詩の一節、「巷に雨の降るごとく、わが心にぞ雨の降る」さながらに、癒しがたいメランコリーの歌なのです。名曲だけに多くのピアニストが録音していますが、二十世紀最高のモーツァルト弾きとして名高いクララ・ハスキルのピアノ、パウル・ザッヒャー指揮ウィーン交響楽団の演奏で聴きました。クララ・ハスキルは若い頃から脊椎側湾症という宿痾に悩み、その闘病や孤独のなかから自己の音楽を守り抜きました。「K.488」はハスキル8歳のときのデビュー曲で、以来好んで演奏した曲です。
ディヴェルティメントニ長調 K.136
「ディヴェルティメントニ長調K.136」は、1772年16歳のモーツァルトが書いた創造の奇跡とも言える作品です。清冽な泉のように颯爽と湧き出るアレグロ、満ち足りた喜びをおおらかに歌うアンダンテ、嬉々として生の愉悦が躍動するプレストは、どの楽章も美しい魅力に溢れています。カール・ミュンヒンガー指揮、シュトゥットガルト室内オーケストラの演奏は青春の歌に相応しい名演奏で、この曲の雰囲気にぴったりです。
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フルート協奏曲ト長調 K.313
1777年9月23日、母と2人でマンハイム・パリ旅行に出発したモーツァルトは、10月30日にマンハイムに到着し、ここでおよそ4カ月半を過ごします。マンハイム楽派の音楽家たちと親交をもち、彼等から多くの影響を受けました。当時たまたまマンハイムに滞在していた、オランダ人の医師で音楽愛好家のドジャンから「フルートのための軽いコンチェルトを三曲と、四重奏曲を二曲作るように」との注文を受けました。こうして完成されたのが、2つの協奏曲(K.313、K.314)と3つの四重奏曲(K.285、K.285a、K.285b)です。当時のフルートは構造が不完全で、正しい音程が取りにくかったためか、モーツァルトはこれらの仕事にあまり乗り気がしなかったらしいのです。それにもかかわらず、出来上がった作品はとても愛好家向けの作品とは思えず、フルートという楽器の特性を生かした優れた作品で、フルート協奏曲の屈指の名曲として広く愛好されています。「フルート協奏曲ト長調K.313」は、フルートの清澄で明るい表情に溢れ、楽想も豊かで味わい深い作品です。第二楽章アダージョ・ノン・トロッポについて、アインシュタインは「はなはだ個人的ですらあって、むしろ非常に幻想的で非常に独特なもの」と言っているように、芸術的にも深い表現内容を持っています。ジェームズ・ゴールウェイのフルート、プリエール指揮ニュー・アイルランド室内管弦楽団の演奏で聴きました。
ピアノ協奏曲変ロ長調 K.595
1791年1月5日モーツァルト最後の年に完成し、3月4日ヨーゼフ・ベーアというクラリネット奏者の演奏会で、モーツァルト自身のピアノで演奏されたのが、「ピアノ協奏曲変ロ長調K.595」です。1789年から死の年である1791年にかけては、モーツァルトにとって失意と貧乏の連続でした。「もはや人生には何の未練もなくなった」と手紙に書いたように、挽歌のような静かでわびしい感情が流れています。作家フランソア・モーリアックは、喉頭癌のため死の宣告を受けた時、初めてモーツァルトに啓示を受けたと語り、この曲を聴いて次ぎのように書いています。「現世を追われたよろこびであり、移ろうものに狂気のように執着するはかない人間たちを前に、《永遠の他の場所》が存在することを世代から世代へと証言するにふさわしい、昇天したよろこびである。」第二楽章ラルゲットのピアノの感動的なモノローグ、子供のためのリード『春への憧れ』K.596の主題による天真爛漫な第三楽章、その清澄な響きが心に残ります。クララ・ハスキルのピアノ、フリッチャイ指揮バイエルン国立管弦楽団の演奏で聴きました。
ピアノのためのロンドイ短調 K.511
「ピアノのためのロンドイ短調K.511」は、「ロンドニ長調K.485」と対照的な雰囲気の曲として親しまれています。メランコリーに満ちた詩からは、ロマンの香りが漂ってきますが、簡潔で哀しさが心に沁み通るようです。涙のひと粒ひと粒がこぼれ落ち、舞いながら最後にはピアニッシモで静かに消えていきます。1787年3月11日の作曲ですが、4月4日付けで病の重くなった父レオポルドに送ったモーツァルトの手紙には、「死はぼくたちの人生の真の目的です……その姿は、ぼくにとって怖ろしいものでないばかりか、まったく心を安らかにし、慰めてくれるものなのです。」と書かれています。イングリッド・ヘブラーのピアノで聴きました。
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セレナードニ長調 K.239「セレナータ・ノットゥルナ」
1776年1月に作曲された「セレナードニ長調K.239」は、謝肉祭のために書かれたと考えられています。自筆譜にレオポルドの手で『セレナータ・ノットゥルナ』と書かれていますが、ノットゥルナという語が何か特別の形式を意味しているかは不明です。ティンパニーと弦楽のみの編成なので、室内での演奏を目的にしていることは確かなようです。楽器編成が変わっていて、全体が2群に分かれ、独奏群と合奏が交互に演奏するバロックのコンチェルト・グロッソの形式に倣っています。簡潔で明快な行進曲に続いて、堂々としたメヌエットの第二楽章と明るく楽しいロンドの第三楽章など、楽曲全体が創意に溢れています。イ・ムジチ合奏団の演奏で聴きました。
ピアノ協奏曲ハ長調 K.467
「ピアノ協奏曲ハ長調K.467」は、その第二楽章アンダンテが、スウェーデン映画『みじかくも美しく燃え』のなかで使われ有名になりました。19世紀末にスウェーデンで実際にあった心中事件を題材にした映画で、青年将校と女芸人エルヴィラ・マディガンが、許されぬ恋を貫いて死ぬ悲恋物語です。マディガンの美しい表情や姿を、モーツァルトの嫋々たるアンダンテのメロディーがいっそう際立たせていました。1785年3月9日に自らの予約演奏会のために作曲したこの曲は、前作の「ニ短調 K.466」(同年2月10日完成)と対をなす作品とも見られ、大規模な楽器編成、ピアノとオーケストラの見事な一体化による交響的な響き、密度の高さなど、「K.466」と共通しています。しかし前作が暗く激しい内容を持っているのに対して、ハ長調のこの作品は何と明るく力強いことでしょう。あくまでもおおらかで、たとえようもなく美しいメロディーに溢れています。どんな気分の時にもマッチする、いつでも聴きたくなる曲です。落ち込みがちの時は慰められ勇気づけられるし、気力が充実している時はますます爽快かつハッピーな気分にしてくれます。マレイ・ペライアのピアノと指揮、ヨーロッパ室内オーケストラの演奏で聴きました。
ヴァイオリン・ソナタハ長調 K.296
自筆譜のタイトルに『1778年3月11日マンハイムにて、テレーゼ・ピエロンのために』と書かれた「ヴァイオリン・ソナタハ長調K.296」はマンハイムで書いた4曲目のソナタですが、「作品T」(マンハイム・ソナタ)のシリーズとしては出版されず、ウィーンに定住して間もなく、1781年11月にアルタリア社から、K.376〜380の5曲と纏めて「作品U」(アウエルンハンマー・ソナタ)として出版されました。ピエロン嬢はマンハイムでのピアノの弟子で、当時15歳の愛らしい娘さんでした。モーツァルトは3日後にパリに旅立ちますが、3月12日にカンナビヒ家で催されたお別れ演奏会では、「三台のピアノのための協奏曲ヘ長調K.242」が演奏されました。モーツァルトはその時の模様を、「ローザ・カンナビヒ嬢が第一を、アロイジア・ウェーバー嬢が第二を、そしてピエロン・ゼーラリウス嬢(僕らの妖精)が第三を弾きました。」と父宛に書いています。ピエロン嬢に献呈された「ヴァイオリン・ソナタハ長調K.296」は春のやわらかい朝の光のように楽想はまろやかに輝き、少女の魅力を捉えているように青春の香りに満ちた愛らしい作品です。洗練されたポエジーと爽快さに溢れたこの曲を聴いていると、幸せな気持に満たされます。古きウィーンの香りが漂うワルター・バリリのヴァイオリン、パウル・バドゥーラ=スコダのピアノで聴きました。
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ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.378
「こんな美しい曲がこの世にあっていいのだろうかと思う。早春の早朝にでも聴こうものなら、一日しあわせである。ピアノの出だしからして、優しい春のそよ風が流れてゆくようだ。」と熱烈なモーツァルティアン、高橋英郎氏をして言わしめたのが、「ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調K.378」です。パリ的な要素が強く表れていることから、1779年初めマンハイム・パリ旅行から帰郷後間もない頃の作品と考えられています。典雅にして流麗、繊細な優しさ、匂い立つように甘美な抒情に溢れ、あまりの美しさに陶然となってしまいます。表情豊かに歌う第一楽章、快活な第三楽章、「バラ色の黄昏が静かに消えていく」(アーベルト)ように閉じられる第二楽章、こんな曲は、ほかの誰にも書けないでしょう。オーギュスタン・デュメイのヴァイオリン、マリア・ジョアオ・ピリスのピアノで聴きました。
ピアノ協奏曲ハ短調 K.491
モーツァルトの短調で書かれた2曲のピアノ協奏曲のうち、「ハ短調K.491」はウィーン古典派のみならず、古今のピアノ協奏曲の最高傑作と言える作品です。1786年3月、歌劇『フィガロの結婚』の作曲と並行して書かれ、4月7日のブルク劇場での自身の予約演奏会で初演されたと推測されています。以前の社交音楽の雰囲気は微塵も感じられず、シンフォニックで堅固な構成と悲劇的な表現力の深さを持ち、モーツァルトの感情表現の激しさに圧倒されます。冒頭の主題は異様な緊張をはらむパトスの世界であり、悲壮感が漂います。続く第二楽章ラルゲットは何というやさしい慰藉に満ちていることでしょう。人生苦に傷つき呻吟する心にそっと寄り添うように、ピアノと木管楽器が情緒纏綿と対話します。数あるレコードの中でも、ハスキルの絶妙の間合いと温かさに溢れた演奏はいつまでも心に残ります。オーケストラはマルケヴィッチ指揮ラムルー管弦楽団です。
ピアノのためのアダージョロ短調 K.540
「ピアノのためのアダージョロ短調K.540」は1788年3月19日作曲の、緻密な構成と変化に富んだ内容、憂いを含んだ情感が印象的な作品です。ロマン・ロランがとくに愛した曲で、「この作には新しい霊的な天才の力が現れている。それは人間の魂に翼を与えるあるもの、人間の魂に来て宿る、ある外来の力、われわれ自身よりもいっそう高い霊、われわれの内なる神を意味する。」と語っています。代表作『ジャン・クリストフ』の「家の中」で、クリストフがオリヴィエに出会った時、彼の求めに応じてオリヴィエが弾き出したのが「アダージョロ短調」ですが、その個所を次のように描写しています。「音楽は心のなかに秘めている思いをさらけ出すものである。モーツァルトのアダージョの神々しい輪郭の奥にクリストフが見出したのは、今それをそこで弾いている未知の友のさまざまな秘めやかな特長であった…」内田光子のピアノで聴きました。
パントマイム『レ・プチ・リアン』のためのバレエ音楽 K.299b
「ノヴェールの新作バレエのために、ぼくも新しい音楽を書くことになっています。」1778年5月14日付で、パリより父に宛てた手紙の中で触れられているノヴェールは、当時ヨーロッパを股にかけて、興業を続けていた近代バレエの祖の一人ともいえる舞踊家です。「パントマイム『レ・プチ・リアン』のためのバレエ音楽K.299b」は、革新的で高名なこの舞踊家との交遊から生み出された珍しい作品です。しかしこの作品は、1872年パリのオぺラ座の資料庫の中から、その筆写譜が発見されるまで、1世紀近くもその存在が忘れられていました。序曲を含め全21曲からなる作品全体を、モーツァルトが一人で作曲したのではないことは、彼の書簡からも知ることができます。新全集では、序曲、第9、10、11、12、15、16、18の8曲が確実にモーツァルトの手になるものと指定されています。楽しく優雅で新鮮な魅力に溢れたこの曲を聴いていると、思わず踊り出したくなります。カール・ミュンヒンガー指揮、シュトゥットガルト室内管弦楽団の演奏で聴きました。
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ピアノ五重奏曲変ホ長調 K.452
「ぼくの(ブルク劇場)演奏会は大変な評判でした。…ぼくは大協奏曲を2曲(K.450、K.451)書き、それから五重奏曲を1曲書きましたが、これは異例の喝采を博しました。ぼく自身、この曲はこれまでの生涯に書いた最高の作品と考えています。…編成は、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット各1本に、ピアノフォルテです。…あなたも聴けたらよかったと思います!…なんとすばらしい演奏だったでしょう!」モーツァルトが1784年4月10日付の父宛の手紙で書いている「ピアノ五重奏曲変ホ長調K.452」は、この年の4月1日の自作演奏会で初演されました。楽器編成は特殊なものですが、ピアノと木管楽器の組合わせの繊細な変化と典雅な響きが素晴らしく、楽器の個性の完璧な把握と引き締まった構成感によって、協奏曲と室内楽を融合した独特の魅力に溢れています。モーツァルトの並々ならぬ自信作は、ベートーヴェンが作品16で模倣したことでも有名です。叙情的なラルゴの序奏に続いて牧歌的で多彩な第一楽章。楽器の個性を見事に表したメロディーが歌い継がれる第二楽章。民謡風の快活なロンド・フィナーレ。モーツァルトの会心作を、内田光子のピアノ、ニール・ブラックのオーボエ、シア・キングのクラリネット、フランク・ロイドのホルン、ロビン・オニールのファゴットで聴きました。
ピアノのための八つの変奏曲ヘ長調 K.613
「ピアノのための八つの変奏曲ヘ長調K.613」は、モーツァルトの最後の変奏曲です。主題は、シカネーダー劇団の作曲家ベネディクト・シャックの茶番劇『愚かな庭師』から、園丁アントーンの歌う「女ほど素敵なものはない」で、1789年ウィーンで流行歌としてはやっていたものです。モーツァルトらしい多彩で自由な楽想に溢れた変奏曲です。ダニエル・バレンボイムのピアノで聴きました。
ミサ曲ハ長調 K.317「戴冠式ミサ」
1779年3月マンハイム・パリ旅行から帰って、ザルツブルクで書かれた最大の教会音楽が「ミサ曲ハ長調K.317(戴冠式ミサ)」です。ザルツブルグ郊外の丘の上に見える黄土色の壁のマリア・プライン教会に行く途中の山道に、巡礼者のための祈祷所が点々とあり、そこに祀られている戴冠聖母像に捧げられた曲といわれて来ました。しかし「戴冠式」の呼び名は、1791年8月〜9月にプラハで挙行されたオーストリア皇帝レオポルド2世か、1792年8月に挙行されたフランツ2世のいずれかの戴冠式で演奏されたことに由来するだろうという説が有力となっています。初演は戴冠式とは関係なく、復活祭の祝日に合わせてザルツブルク大聖堂で4月4日(または5日)に行われました。そのためか、お祝い気分に溢れた明るく輝かしい曲となっています。「アニュス・デイ」には、7年後の歌劇『フィガロの結婚』の伯爵夫人のアリア「幸せの日よ、いまいずこ」のメロディーが現れています。モーツァルトの宗教音楽は世俗の歌と区別がないほど美しく雅な音楽なのです。クーベリック指揮バイエルン放送管弦楽団、マティス(S)、プロクター(A)、グローベ(T)、カーク(B)の演奏で聴きました。
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音楽の冗談ヘ長調 K.522
1787年6月、歌劇『ドン・ジョバンニ』の作曲に忙殺されていたさなかに、モーツァルトは不思議な曲を書きます。「音楽の冗談ヘ長調K.522」は下手な演奏家と、杓子定規な規則に基づいた稚拙な音楽しか書けないくせに、悦にいっている救いがたい作曲家を揶揄しています。そこここに散りばめられたパロディーと諷刺はきわめて鋭いのですが、その書法のなんという見事さ!そして結局は何もかも包み込んで笑い飛ばしてしまう温かさと朗らかさに、思わず微笑を誘われます。奇妙な転調や、ホルンの生真面目な響き、張り切りすぎて調子を外す独奏ヴァイオリン、支離滅裂な終結など滑稽で愉快な曲は、聴く者をわくわくさせます。カール・ミュンヒンガー指揮、シュトゥットガルト室内管弦楽団の演奏で聴きました。
弦楽五重奏曲ハ短調 K.406
1788年4月2日付の『ウィーナー・ツァイトゥング』紙に、モーツァルトは3曲の五重奏曲(K.515、K.516、K.406))の楽譜の予約募集について、次のような広告を載せています。「ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロのための3曲の新作五重奏曲の予約を受けつけます。正確かつきれいに清書されたものです。予約は4ドゥカーテン、もしくは18フロリーン(現在の日本円で約5万円)です。予約証はプフベルク氏のもとで毎日入手可能です。国外の愛好家諸氏は代金を御郵送ください。1788年4月1日、国王陛下に仕える宮廷楽長モーツァルト」しかし、6月25日にモーツァルトはプフベルク宛てに次のように書いています。「予約してくださった方がなお少数ですので、3曲の五重奏曲の出版は、1789年1月1日まで延期せざるをえません…」出版による収入を借金の返済に当てる心積もりでいたことが窺われ、心が傷みます。3曲の五重奏曲のうちの1曲、「弦楽五重奏曲ハ短調K.406」は1782年7月末に書かれたオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット各2本のための「セレナードハ短調K.388」からの編曲です。短調による厳粛な響きと内容の深さから、室内楽への編曲を意図したものと思われます。とりわけ素晴らしいのが第二楽章アンダンテで、瞑想的な情緒の深さが心に残ります。クイケン四重奏団、寺神戸亮の第一ヴィオラによる演奏で聴きました。
ディヴェルティメントヘ長調 K.138
「ディヴェルティメントヘ長調K.138」は1772年ザルツブルクで書かれた3曲のディヴェルティメントK.136〜138の1曲。4声の弦楽器で書かれたこれらの曲は、4つの独奏楽器を意図したのか、それとも複数の編成を意図したのか意見が別れるところです。簡潔な楽章編成など室内楽的な傾向が強いため、弦楽四重奏で演奏されることも多いようです。朗々と始まり伸びやかなメロディーが心地よく流れる第一楽章、感情表現の豊かな第二楽章、明るく楽しい第三楽章と、いかにも16歳の青年らしい若々しさに溢れる曲です。ハーゲン弦楽四重奏団の演奏で聴きました。
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ヴァイオリン・ソナタト長調 K.379
モーツァルトは、1781年4月8日、ザルツブルクの父親に宛てて次ぎにような手紙を書きます。「今日、僕は音楽会をしましたが、3曲─もちろん新曲です─演奏しました。ブルネッティ(ザルツブルク宮廷楽団の同僚のコンサート・マスター)のための協奏曲用ロンドがひとつと、僕自身のためのヴァイオリン伴奏つきのソナタが1曲で、これは昨晩11時から12時かけて作曲したものです。どうしても仕上げなくてはならなかったので、ブルネッティのための伴奏だけ書いて、自分のパートは頭に入れておきました。」従来この手紙で触れられている曲は「ヴァイオリン・ソナタト長調K.379」と考えられてきました。しかし現在では、モーツァルトが「自分のための」と呼んでいる言葉は、クラヴィーアのヴィルトゥオーソ的な扱いを意味しているところから、それが当てはまるのはK.379ではなく「変ホ長調K.380」ではないかと考えられています。ウィーンにおけるクラヴィーアの弟子ヨゼーファ・アウエルンハンマー嬢に献呈されたことから、『アウエルンハンマー・ソナタ』と呼ばれる6曲のソナタ(K.296、K.376〜380)の第5曲「ヴァイオリン・ソナタト長調K.379」は、ロマンティックな情緒を湛えたアダージョの序奏に続いて、激しい緊張感を孕んだト短調のアレグロが疾駆するように進みます。第二楽章は主題と5つの変奏曲からなり、その第5変奏アダージョはヴァイオリンのピチカートにのって、夢見るように美しいメロディーをこまやかに奏でます。マリア・ジョアオ・ピリスのピアノ、オーギュスタン・デュメイのヴァイオリンで聴きました。
交響曲イ長調 K.201
1773年から74年にかけて作曲された9曲の交響曲が父親の手によってまとめて製本され『自筆譜合本』として伝えられています。1774年4月6日の日付が読める「交響曲イ長調K.201」は、この時期の交響曲の中でも特に優れた作品として演奏されることも多いのです。第一楽章の主題はオクターブ下降を伴う同音反復が印象的です。繊細で穏やかな第二楽章、きびきびとして活気のある第三楽章をはさんで、推進力のある堂々とした第四楽章が見事です。ジェイムズ・レヴァイン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で聴きました。
ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調 K.302
モーツァルトは1778年2月から夏にかけて、マンハイム・パリ旅行で6曲の「ヴァイオリン伴奏付きのクラヴィーア・ソナタ」を作曲し、11月に『作品T』としてパリのシベールから出版しました。通称『マンハイム・ソナタ』と呼ばれるこれらのソナタは、ミュンヘンの作曲家シュースターのソナタから触発されて書かれ、ヴァイオリンとクラヴィーアが対等の関係で協奏する二重奏を目指しています。シリーズ第2曲の「ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調K.302」は、マンハイム風のダイナミックな、長調と短調の交替に見られる陰影の深い作品です。力強い分散和音のモティーフとなだらかなメロディーがマンハイム的な二重構造で始まる第一楽章アレグロ、荘重な美しさをもったロンドには、モーツァルトの意欲と力量が窺えます。ヒロ・クロサキのヴァイオリン、リンダ・ニコルソンのフォルテピアノで聴きました。
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ピアノ協奏曲ト長調 K.453
「ピアノ協奏曲ト長調K.453」は1784年4月12日、優秀な愛弟子バルバラ・プロイヤー嬢のために書いた2作目の作品です。(1作目は「変ホ長調K.449」)この曲の特長は何と言っても木管楽器の素晴らしい用法です。弦と管、オーケストラとピアノの掛け合いは洗練され、とりわけ木管楽器とピアノの見事な調和は、円熟したモーツァルトの世界を余すところなく表しています。「バルバラ・プロイヤー嬢のために、新しい協奏曲を仕上げました。『変ホ長調』と『ト長調』は、ぼくと彼女以外の誰のものでもなく、したがって間違っても他人の手に渡ることは許されません。」(1784年5月15日、父親宛)としたためているように、モーツァルトがこの曲を大切に思っていたことが窺えます。哀愁と微笑が交錯し木漏れ日のような陰影の濃い第二楽章は、木管楽器の音色が巧みに用いられて印象的です。マレイ・ペライアのピアノと指揮、イギリス室内管弦楽団の演奏で聴きました。
弦楽五重奏曲変ホ長調 K.614
「弦楽五重奏曲変ホ長調K.614」は1791年4月12日に作曲された、モーツァルト最後の室内楽です。小鳥のさえずりで始まる出だし、きわめてハイドン的なフィナーレなど、全楽章に明るく簡潔な活気と機知に溢れているあたりは、ハイドンの「弦楽四重奏曲作品33の3《鳥》」からの影響を受けていることは明らかです。1790年12月、ロンドンに旅立ったハイドンを思い浮かべながら書いたオマージュとも言える作品です。第二楽章アンダンテは素朴な主題と3つの変奏曲で、間奏風の推移を挿んだ自由な構成のうちに、晩年の特徴である澄み切った心情が描き出されています。クイケン四重奏団、寺神戸亮の第一ヴィオラによる演奏で聴きました。
弦楽五重奏曲ハ長調 K.515
「弦楽五重奏曲ハ長調K.515」は1787年4月、歌劇『ドン・ジョバンニ』を作曲中に、「ト短調K.516」と対のようにして僅か1カ月足らずの間に書かれました。「ト短調」が激しくゆれ動く暗い色調に彩られているのに対して、「ハ長調」は明るく澄んだ輝かしい世界を描いています。重厚な構えと、心の奥深くから輝き出る比類のない美の世界は、「ト短調」とともに室内楽の頂点をなす作品です。第一楽章の冒頭、チェロの分散和音の上昇とヴァイオリンのため息のような音型による応答は、なんと美しいことでしょう。第二楽章でも、ヴァイオリンと第一ヴィオラの対話が、オペラのような広がりと感情の高まりを見せます。重厚な第三楽章を経て第四楽章は、ロンド的な快活さと堂々とした構成が見事に融合し、天衣無縫ともいえる技法に驚嘆させられます。アルバン・ベルク四重奏団、マルクス・ヴォルフの第二ヴィオラによる演奏で聴きました。
フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.299
1778年3月23日、モーツァルトは母と2人でパリに着きました。旧知のグリム男爵の紹介でド・ギーヌ公爵と知り合い、その令嬢に毎日2時間作曲を教え始めました。父に宛てた手紙(1778年5月14日付)によると、ド・ギーヌ公爵は「たぐいないフルートの名手」で、令嬢の方も「ハープを見事に弾いた」とのことです。この公爵の依頼を受けて2人のために書かれたのが「フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299」です。フルートとハープという、当時フランスの上流階級で愛好されていた2つの楽器のために書かれたこの協奏曲は、まさに18世紀フランスのサロンを偲ばせる華麗で優雅な響きをもつ、最もギャラントなスタイルの作品です。新しいメロディーが次々と登場し、万華鏡のように変化する魅力溢れる作品です。ジャン=ピエール・ランパルのフルート、リリー・ラスキーヌのハープ、パーイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団の演奏で聴きました。
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ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.454
「当地に今、有名なマントヴァ出身の非常に優れた女流ヴァイオリン奏者、ストリナザッキがいます。彼女の演奏はたいへん豊かな趣味と感覚をもっています。私はちょうど1曲のソナタを作曲しています。私たちはこのソナタを木曜日に(ケルントナートール)劇場で催される、彼女のアカデミーで協演することでしょう。」(1784年4月24日、父宛の手紙)1781年以来、久々に書かれた「ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調K.454」は、大きな公開演奏会での名手との協演ということもあって、2つの楽器はそれぞれの個性を際立たせながら、協奏的な広がりのある作品です。第一楽章はヴァイオリンの明快なメロディーと、クラヴィーアの繊細を極めた装飾が美しく、第二楽章の叙情的な主題が変ロ短調で奏される展開部は、高貴な悲歌に深められ、その悲痛な表情が印象的です。アルテュール・グリュミオーのヴァイオリン、クララ・ハスキルのピアノで聴きました。
フルート、オーボエ、ファゴット、ホルンのための協奏交響曲変ホ長調 K.297B
パリで名高い公開演奏会、コンセール・スピリチュエルの支配人ル・グロの依頼によって書かれた曲が演奏当日になって紛失する事件がありました。「ぼくは協奏交響曲を1曲書きます。フルートはヴェンドリング、オーボエはラム、ホルンがプント、それに、ファゴットがリッターです。プントはすばらしく吹きます…」旅行中の名手プントを除けば、みんなマンハイムの音楽家で、モーツァルトも会心の作と喜んでいました。ところが、ル・グロが写譜に出すといって預ったまま、楽譜はどこかへ消えてしまいました。「2日たって、それが演奏されるはずの日に、コンセールへ行きました。するとラムとプントがかんかんになってぼくのところへ来て、なぜぼくの協奏交響曲が演奏されないのか?と尋ねました。『知りません。そんなことは初めて聴きました。ぼくは全然知りません。』ラムは怒り心頭に達して、音楽室でル・グロのことをフランス語で、『彼のやり方はきれいじゃない』などと罵倒していました。この件で一番ぼくを苛立たせたのは、当のル・グロがぼくに何も言わないことです。この裏には当地のイタリアのマエストロ、カンビーニがからんでいると思います。…こと音楽に関するかぎり、ぼくは畜生同然の連中のなかにいます…」(1778年5月1日、父親宛の手紙)
この曲は結局演奏されることなく、自筆譜も失われ「幻の名曲」となってしまいました。モーツァルトは記憶を基にこの曲を、ザルツブルクへ戻ってから書きとめるつもりだったようです。ところで19世紀半ばにオットー・ヤーンの遺品のなかから、この曲のフルートに代えてクラリネットを用いた編曲版の楽譜(K.297b)が発見されました。これがパリで失われた協奏交響曲の編曲かどうか、その真偽については現在のところはっきりとした結論は出ていません。「フルート、オーボエ、ファゴット、ホルンのための協奏交響曲変ホ長調K.297B」は、1988年『誰が4つの管楽器のための協奏曲を書いたのか』を出版した音楽学者ロバート・レヴィンが、発見された楽譜に基づいてフルートを含む原曲のかたちの復元を試みたものです。マンハイムやパリの華やかな社交的スタイルと、楽しく繰り広げられる独奏楽器の競演から、モーツァルトらしい円熟した作風が窺えます。オーレル・ニコレのフルート、ハインツ・ホリガーのオーボエ、ヘルマン・バウマンのホルン、クラウス・トゥーネマンのファゴット、マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の演奏で聴きました。
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ディヴェルティメント変ホ長調 K.166
1773年3月24日、最後のイタリア旅行から帰郷して間もなく書かれた「ディヴェルティメント変ホ長調K.166」は、「変ロ長調K.186」とともに当時ザルツブルクではまだ用いられていなかったクラリネットが使用されていることから、ミラノでの演奏のために作曲されたと思われます。第三楽章の主題は、ナポリの作曲家パイジェッロが1772年に作曲した交響曲のアンダンティーノからとられたもの。イタリアの影響を受け伸びやかな音色と軽妙な表情を持つたメロディーが美しく、明快で楽しさに溢れた音楽です。ベルリン・フィルハーモニー管楽アンサンブルの演奏で聴きました。
「今日、ヴェズーヴィオは煙もうもう、ええ、こんちくしょう、きりがありゃしない。」(1770年6月5日付の手紙・写真はポンペイの遺跡フォロからヴェズーヴィオ火山を望む。)
セレナード変ロ長調 K.361「グラン・パルティータ」
「それは変ホ長調のアダージョだった。初めは古びた手風琴のようだった。ゆっくりとしたテンポが、静けさをたたえていた。そこに突然オーボエの高い音が鳴り響き、シングルノートの確乎たる歩みが続いた。クラリネットが甘美さを加え、叶わぬ憧れで曲を満たす。私はふるえた。苦痛が私を捉えた。私は神の声を聞いているのだ。」これは、映画『アマデウス』で「セレナード変ロ長調K.361」の第三楽章アダージョが聞こえて来た時の、サリエリの驚きです。13管楽器のセレナードとも、規模の大きさから、『グラン・パルティータ』とも呼ばれます。この作品は1783〜84年にかけて、後にクラリネット五重奏曲とクラリネット協奏曲が生まれるきっかけとなったクラリネットの名手アントン・シュタードラーの演奏会のために作曲されたといわれます。7楽章から成る大作ですが、内容の深さと充溢した木管アンサンブルの響きは、聴くものをひとときも放さない魅力を湛えています。フランス・ブリュッヘン指揮、18世紀オーケストラのメンバーによる演奏で聴きました。
セレナードニ長調 K.204
太宰治の作品『パンドラの匣』からの一節です。「書いて下さい。本当に、どうか、僕たちのためにも書いて下さい。先生の詩のように軽くて清潔な詩を、いま、僕たちが一ばん読みたいんです。僕にはよくわかりませんけど、たとえば、モーツァルトの音楽みたいに、軽快で、そうして気高く澄んでいる芸術を僕たちは、いま求めているんです。へんに大袈裟な身振りのものや、深刻めかしたものは、もう古くてわかり切っているのです。焼跡の隅のわずかな青草でも美しく歌ってくれる詩人がいないものでしょうか。…(中略)…タッチだけで、その人の純粋度がわかります。問題は、タッチです。音律です。それが気高く澄んでいないのは、みんな、にせものなんです。」
1775年8月5日、7楽章のフィナールムジークとして作曲された「セレナードニ長調K.204」は、、必要に応じて楽章構成を編成して交響曲としても演奏したと考えられます。第二楽章と第三楽章はヴァイオリンが、第五楽章はフルートが独奏する協奏曲形式の楽章で、ソロ楽器がみずみずしく優雅に歌います。ウィリー・ボスコフスキー指揮、ウィーン・モーツァルト合奏団の演奏で聴きました。
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ヴァイオリン・ソナタヘ長調 K.376
モーツァルトは1781年11月に、ウィーンのアルタリア社から6曲のヴァイオリンソナタ(K.296、376〜380)を『作品U』として出版しました。クラヴィーアの弟子ヨゼーファ・アウエルンハンマー嬢に献呈されているところから、『アウエルンハンマー・ソナタ』と呼ばれています。「これらのソナタはこの種のものとしては唯一独自のものである。非常に輝かしく、使用楽器に適切である。さらにヴァイオリンの伴奏とクラヴィーア・パートがきわめて巧みに結合しているので、両楽器が絶えず注意のなかに置かれている。したがって、これらのソナタはクラヴィーア奏者と同様に完成されたヴァイオリニストを要求する。この独創的な作品を文章で完全に叙述することはできない。」これはクラーマーの『音楽雑誌』が1783年4月4日に掲載した批評文ですが、円熟味を増した二重奏が当時の人々にいかに新鮮に感じられたかを示しています。「ヴァイオリン・ソナタヘ長調K.376」はその第1曲です。3つの楽章はいずれも明るく温かな気分の親しみに満ちた曲で、フィナーレはパパゲーノのアリアを思わせる陽気なウィーンの民謡調の主題によるロンドで、ウィーンでのデビューを飾るにふさわしい作品です。アルテュール・グリュミオーのヴァイオリン、クララ・ハスキルのピアノで聴きました。
弦楽四重奏曲変ロ長調 K.589
1790年5月といえば、2月に啓蒙君主ヨーゼフ二世が亡くなり、演奏会の収入も減って、「宮廷作曲家」の称号は名ばかり。収入は月額六十六グルデンに過ぎず、その一方で、妻コンスタンツェの治療費がかさむために、モーツァルトは経済的に逼迫していきます。この当時モーツァルトはベルリンの音楽愛好家で自らもチェロの演奏に長けたプロシャ王、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世から依頼されて6曲の弦楽四重奏曲を作曲する意図を持っていましたが、作品はK.575,589,590の3曲しか完成されませんでした。これらの3曲は、作曲の由来から『プロシャ王四重奏曲』と呼ばれています。5月17日付のプフベルクに宛てた手紙の中で「現状を打破するためには手っとり早く金を稼がねばならず、そのためにピアノ・ソナタや歌を作曲していて、弦楽四重奏曲の完成が遅れています。…今度の土曜日には、私の四重奏曲を拙宅で演奏するつもりです。その時は、奥様もご一緒にぜひお出かけください。」と述べています。この手紙に書かれているのが「弦楽四重奏曲変ロ長調K.589」で、『プロシャ王セット』の第2曲です。なめらかなメロディーによる穏やかな表情の第一楽章、たっぷりと美しく歌う第二楽章ラルゲットに心が安らぎます。クイケン四重奏団の演奏で聴きました。
ピアノ協奏曲変ロ長調 K.450
1784年3月にモーツァルトは2曲のピアノ協奏曲(「変ロ長調K.450」、「ニ長調K.451」)を作曲しています。「どちらも汗をかかせる協奏曲です。でも、むつかしいのは、「ニ長調」より「変ロ長調」のほうだと思います。ところで、「変ロ長調」、「ニ長調」、「ト長調」(K.453)のうち、どれが一番お父さんやお姉さんのお気に召すか、たいへん気になります。」と5月24日付の手紙に書いています。「ピアノ協奏曲変ロ長調K.450」は、大規模な管弦楽による豊かな響きと、華麗なパッセージをくりひろげる独奏ピアノなど、魅力に溢れた作品です。第一楽章のテーマが木管楽器の3度の動きで始まり、ついでヴァイオリンが応答するところが、軽やかで粋な雰囲気を漂わせ、おもわず誘い込まれます。第二楽章は素朴な歌を変奏しながら少しずつ色彩を変化させ、穏やかな平安に満ちた曲です。レナード・バーンスタインのピアノと指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で聴きました。
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弦楽五重奏曲ト短調 K.516
「確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家は、モオツァルトの後にも先にもない。」これは小林秀雄が代表的評論『モオツァルト』の中で、「弦楽五重奏曲ト短調K.516」の第一楽章の有名なテーマについて書いた文章です。1787年5月16日の日付を持つト短調は、前作の「ハ長調K.515」と対をなす五重奏曲の双璧です。第一楽章の主和音が上昇しクロマティックに下降するテーマは「疾走するかなしみ」(tristesse allante・アンリ・ゲオン著『モーツァルトとの散歩』)の言葉のように、悲哀と焦燥に満ちています。第二楽章メヌエットのトリオでは、つかの間の光がさし込みますが、それは弱く、ほんの一条の光にすぎません。第三楽章は全弦楽器が弱音器をつけて嫋々と歌う、諦念と祈りの音楽です。終楽章の悲痛な序奏に続いて、突然ロンド主題が明るく始まる部分は唐突な感じを与えますが、これこそがモーツァルトの心の奥底のドラマを示すモーツァルトらしい解決なのかも知れません。寺神戸亮の第一ヴィオラ、クイケン四重奏団の演奏で聴きました。
自動オルガンのためのアンダンテヘ長調 K.616
1791年3月26日付のウィーン新聞に、美術品収集家で有名なミューラの広告が掲載されました。「正12時に葬送の音楽を演奏します。今週は楽長モーツァルト氏の音楽です。」とあるように、1791年3月から8月にかけてウィーンのラウドン元帥廟で鳴らされた自動オルガンのための作品の1曲が、5月4日に完成した「自動オルガンのためのアンダンテヘ長調 K.616」です。親しみやすい主題が多彩な変奏によって装飾され、あらゆる種類の音階によるパッセージ、分散和音、華やかなトリルなど変化に富んだ作品です。この自動オルガンは16世紀の昔からあったそうで、時計職人の余技として、ワイン差しや水入れ、アルバムにまでセットされたそうです。アルタリアからクラヴィーア用楽譜が出版されて以来、ピアノで演奏されることが多いのですが、今回は管楽合奏の編曲によるアンサンブル・ウィーン=ベルリンの演奏で聴きました。
フルート四重奏曲ト長調 K.285a
「フルート四重奏曲ト長調K.285a」は、1778年2月マンハイム滞在中に、フルート愛好家ドジャンのために書かれた一連のフルート四重奏曲のうちの1曲です。セレナード風の優美で親密な情趣を持ち、アンダンテとメヌエットの2楽章から成るこの作品は、いかにも70年代のパリを中心に流行したギャラントスタイルの典型を示しています。バルトルト・クイケンのフラウト・トラヴェルソ、クイケン四重奏団のメンバーによる演奏で聴きました。
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四手のためのピアノ・ソナタニ長調 K.381
モーツァルトは姉のナンネルと連弾を楽しむために、数曲のソナタを書いています。「四手のためのピアノ・ソナタニ長調K.381」は1773年末に、第三回イタリア旅行から帰郷後間もない頃に作曲されました。、強弱の対比と弦楽器風のトレモロ、和音の厚い響きなど、イタリア風のシンフォニアを四手に編曲したような曲です。モーツァルトとナンネルが、微笑みながら演奏するさまが目に浮かぶようです。デジュー・ラーンキとゾルタン・コチシュの連弾で聴きました。
グラス・ハーモニカのためのアダージョハ長調 K.356
「グラス・ハーモニカのためのアダージョハ長調K.356」は、1791年、盲目の21歳のグラス・ハーモニカの名手マリアンネ・キルヒゲスナー嬢の予約演奏会でのアンコール用に書かれました。「アダージョとロンドK.617」とともにモーツァルトの数少ないグラス・ハーモニカを使った作品です。グラス・ハーモニカの原理は、適当な量の水を入れたコップを並べて音階を作り、指ではじいたり、こすったりして音楽を奏でます。1784年頃より、機械化されて鍵盤で演奏できるようになりました。神韻渺々とした情緒が漂い、清らかで天国的な響きに心たゆとう作品です。ブルーノ・ホフマンのグラス・ハーモニカで聴きました。
ホルン協奏曲変ホ長調 K.417
自筆譜の表題に「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ロバで、牛で、間抜けのロイトゲープを哀れみ、ウィーンにて。1783年5月27日」と書かれている「ホルン協奏曲変ホ長調K.417」は、モーツァルトの気のおけない親友で、優れたホルン奏者、ロイトゲープのために書かれました。のどかで美しいメロディーと、終楽章にみられる、短調の旋律を奏するホルンとそれをからかうような音型を奏するヴァイオリンとのやりとりには、ロイトゲープをからかう冗談好きのモーツァルトならではのユーモア精神が窺えます。ヘルマン・バウマンのホルン、ピンカス・ズーカマン指揮セント・ポール室内管弦楽団の演奏で聴きました。
セレナードト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
モーツァルトと言えば、誰しも先ず思い浮かべるのは「セレナードト長調K.525『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』」でしょう。1787年8月にウィーンで作曲されたこの曲は、自作品目録にもあるように、第一楽章と第二楽章の間にメヌエット楽章がもう1曲あったことが窺われます。このメヌエット楽章は初版の時には既に失われていて、この紛失した部分の所在は現在も不明です。室内楽として弦楽五重奏で演奏されることもありますが、バスの音域などから室内オーケストラのための作品であるようです。生き生きとした伸びやかなメロディーが譬えようもなく美しい第一楽章、ロマンツェの甘美なメロディーと、中間部でハ短調に暗転して翳りのある情緒が魅力的な第二楽章、こじんまりしていながら引き締まった構成を持ち、華やかな推進力に満ちた第四楽章など、モーツァルトの作品の中でもこれほどの人気を獲得している理由でしょう。シャンドル・ヴェーグ指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカの演奏によるビデオで聴きました。
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「ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき」K.520
モーツァルトの歌曲の傑作「ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたときK.520」は、弟子であり親友でもあったゴットフリート・フォン・ジャカンとの友情から生まれた作品です。なかなか作曲しようとしないモーツァルトを、ジャカンは自室に閉じ込めて作曲させたらしく、自筆譜には「ラントシュトラーセ。W.A.モーツァルトの手によりG.V.ジャカンの部屋にて」と書かれ、1787年5月26日の日付を持っています。ジャカンの作品集の中に混じって出版されましたが、この頃すでに困窮の度を加えていたモーツァルトが富裕な友人に版権を売ったのか、それとも友情からプレゼントしたのでしょうか。不実な恋人に対する愛と嫉妬に燃えさかる心が劇的に表現され、手紙が炎の中で燃え心が激しく高ぶるさまを見事に描写しています。作詞者のバウムベルクはウィーンの「サッポー」と呼ばれた情熱的な女流詩人です。白井光子のメゾ・ソプラノ、ハルトムート・ヘルのピアノで聴きました。
四手のためのピアノ・ソナタハ長調 K.521
1787年5月29日、「四手のためのピアノ・ソナタハ長調K.521」を完成したモーツァルトは、すぐに親友のゴットフリート・フォン・ジャカンに送り、「妹さん(フランツィスカ)に差し上げて下さい…ただし、すぐにお始めになりますように。この曲は少し難しいので…」と手紙に書いています。最初この曲は2台のクラヴィーアのために書かれたらしく、これまでのソナタと比べると協奏曲のような華やかなパッセージやダイナミックな響きなど、このジャンル最後の傑作です。第二楽章アンダンテののびやかに歌う第一主題とニ短調の哀愁に満ちた中間部との対比が聴く者を飽きさせません。イングリット・ヘブラー、ルードヴィヒ・ホフマンの連弾で聴きました。
2つの独奏ヴァイオリンのためのコンチェルトーネハ長調 K.190
一連のヴァイオリン協奏曲(K.211、216、218、219)に先立って、1774年5月31日に書かれたのが「2つの独奏ヴァイオリンのためのコンチェルトーネハ長調K.190」です。2つのヴァイオリンが追いつ追われつ、オーボエのソロも加わり、明るく楽しい音楽を繰り広げます。協奏曲よりずっと自由なセレナードやディヴェルティメント風の娯楽性を持った作品といえるでしょう。幼年時代からたて続けに行なわれた旅行に終止符をうち、比較的長期間ザルツブルクに身を落ち着けて、宮廷作曲家としてセレナードやディベルティメントなどの娯楽音楽を作曲する機会が多くなった時期にふさわしい作品です。「ぼくはヴェンドリング(マンハイム宮廷楽団の名フルート奏者)に、ぼくのコンチェルトーネをクラヴィーアで弾いて聴いて貰いました。彼が言うには、『これはまったくパリに向いている』ということでした。」(1777年12月14日、マンハイムより父と姉宛の手紙)
シギスヴァルト・クイケンと寺神戸亮のヴァイオリン、ラ・プティット・バンドの演奏で聴きました。
ピアノ四重奏曲変ホ長調 K.493
「ピアノ四重奏曲変ホ長調K.493」は、ウィーンの作曲家兼出版者でモーツァルトの親しい友人でもあったホフマイスターの注文に応じて書かれました。注文は3曲でしたが、前作「ト短調K.478」との2曲が残されました。ニッセンの伝えるところでは、「ホフマイスターは、ト短調の前作が公衆には難解なため売れないだろうと嘆いたので、モーツァルトは自発的に契約を解除し、連作の継続を断念した」ようです。その結果、1786年6月3日に完成したこの作品は、翌年アルターリア社から出版されました。前作とは対照的に明るい曲想ですが、ピアノと弦楽器の対話はきわめて精巧に作られ、力強く重厚な構成感は前作の姉妹作というにふさわしく、当時のアマチュアにはやはり難しかったと思われます。雄大で手堅い作風を感じさせる第一楽章、ほとんどピアノで奏される繊細な抒情を湛えた第二楽章、ガヴォット風の愛らしいロンド主題を中心に華やかなパッセージを随所に織り込んだ協奏曲風の第三楽章など、室内楽の醍醐味に溢れた作品です。ジャック・ルヴィエのピアノ、モーツァルト・トリオの演奏で聴きました。
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弦楽四重奏曲ニ長調 K.575
「弦楽四重奏曲ニ長調K.575」は、チェロを演奏したプロシャ王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世に献呈するために書かれた3曲の四重奏曲(いわゆるプロシャ王四重奏曲)のうちの第1曲です。6曲の四重奏曲を依頼されましたが、3曲(K.575、589、590)しか完成されませんでした。「王室宮廷作曲家」の称号は、実収の伴わない名ばかりのもので、演奏会の収入も減り、その一方で妻コンスタンツェの治療費がかさむなどのため、経済的に逼迫していく時期の作品です。1789年6月4日にベルリン旅行から帰ってすぐに作曲されました。第一楽章の第二主題や第二楽章アンダンテの中間部、メヌエットのトリオなど、これまでになくチェロを起用しているのが特徴です。流麗な旋律と柔らかい響きのなかに、モーツァルト晩年の澄み切った音調が感じられます。バリリ四重奏団の演奏で聴きました。
ファゴット協奏曲変ロ長調 K.191
1774年6月4日、モーツァルトは「ファゴット協奏曲変ロ長調K.191」を書き、この年の12月7日、「オペラ『偽りの女庭師』K.196」の上演のためにミュンヘンに出かけます。ここで、ファゴットが巧みな音楽愛好家、デュルニッツ男爵と知り合い、翌年この男爵のためにファゴット・ソナタを1曲(K.292)と、ファゴット協奏曲を3曲書いたことが知られています。しかし、これらの協奏曲についての消息はまったく不明であり、現存するただ1曲の協奏曲(K.191)についても、誰のために、どんな機会に書かれたものかは現在のところ明らかではありません。曲は、青年モーツァルトらしいのびのびと明るい第一楽章、モーツァルトが特に好んだ『フィガロの結婚』の伯爵夫人のアリアに似た旋律を中心に展開される美しい第二楽章、ファゴットが技巧的なパッセージを披瀝する第三楽章など、この楽器のレパートリーを代表する名曲となっています。クラウス・トゥーネマンのファゴット、マリナー指揮、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズの演奏で聴きました。
ディヴェルティメント変ロ長調 K.287
ザルツブルクの高官、エルンスト・ロードロン伯爵家はこの街の音楽生活の中心であり、妻のアントーニアは自らピアノの名手でもありました。モーツァルトはこの夫人のために2曲のディヴェルティメント(ヘ長調K.247、変ロ長調K.287)を書きました。「ディヴェルティメント変ロ長調K.287」は、1777年6月に、アントーニア夫人の霊名の祝日(6月13日)のために作曲され、同じ月の16日に演奏されました。モーツァルト自身、非常に高く評価していた作品で、10月にミュンヘンで演奏した時の様子を、「ぼくはヨーロッパで一番上手いヴァイオリン奏者であるように弾いてのけました」と父宛の手紙に書いています。全体は6楽章の構成で、前作(K.247)にもまして細やかな書法で書かれ、第一ヴァイオリンの活躍が著しいのが特徴です。全曲に亘って楽しく美しいメロディーに満ち、流麗典雅な響きには18世紀サロン芸術の香りが馥郁と漂います。シャンドル・ヴェーグ指揮、ザルツブルク・カメラータ・アカデミカの演奏で聴きました。
ピアノとヴァイオリンのための6つの変奏曲ト短調 K.360
「ピアノとヴァイオリンのための6つの変奏曲ト短調K.360」は1781年7月、ウィーンで独立生活を始めた直後書いた小品です。主題はフランスのシャンソン『泉のほとりで』から取られています。シチリアーノ風の感傷的なアリエッタから、モーツァルトは「ヴァイオリン・ソナタヘ長調K.377」のニ短調の変奏曲にも匹敵するような深い感情を引き出しており、「抑制された激しい情熱を持つ真にモーツァルト的なト短調作品」(アーベルト)となっています。ピアノとヴァイオリンの香り高い対話が心に沁み入るようです。アルテュール・グリュミオーのヴァイオリン、ワルター・クリーンのピアノで聴きました。
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弦楽四重奏曲ヘ長調 K.590
プロシャ王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世に献呈された3曲の四重奏曲(K.575、589、590)の第3曲「弦楽四重奏曲ヘ長調K.590」は、1790年6月の日付を持つこのジャンルでの最後の作品となりました。「妻は少し痛みも和らいでいるようです。私は倹約のため、バーデンに留まって、よほどのことがないかぎり町へは来ません。いま私の四重奏曲(この骨の折れる仕事)をこんな状況のなかで、お金を手にしたいばかりに、二束三文で手放すはめとなりました…」(1790年6月12日付け、プフベルク宛)と書いているように、当初6曲のシリーズの予定で始められた連作は、手っとり早く金を稼ぐため出版社に売り渡すことになったためなのか、3曲しか残されませんでした。晩年の作品に見られる簡潔で澄明な音調には、「生への至福と悲哀に満ちた告別」(アインシュタイン)にも似た諦念が感じられます。アルバン・ベルク四重奏団の演奏で聴きました。
弦楽四重奏曲ニ短調 K.421
1783年6月に書かれた「弦楽四重奏曲ニ短調K.421」は、ハイドンに捧げられた6曲の四重奏曲(ハイドン・セット)の中、唯一の短調作品です。第一楽章は中庸なテンポの伝統的な「歌うアレグロ」ですが、ソット・ヴォーチェで始まる出だしからなんと暗く物憂い情念が漂うことでしょう。感情の高まりを表すように、テーマが1オクターブ高い音域でフォルテで反復され、ヴァイオリンの大きな音程跳躍が屈折した情緒表現を感じさせます。第二楽章は束の間の至福の時ですが、中間部では鼓動のような動揺を表し、第三楽章のトリオでも飛翔しょうする心に翳りが射し込み、シチリアーノ主題による終楽章の変奏曲も、どのように変身してみても悲哀はつきまとい、憂愁に満ちた内面の表出が深い感動を与えます。イタリア弦楽四重奏団の演奏で聴きました。
交響曲ニ長調 K.297「パリ」
「ぼくは、コンセール・スピリチュエルの開演用に、シンフォニーを1曲書かされました。それは聖体の祝日(6月18日)に演奏されて、大いに受けました。最初のアレグロの真ん中に、受けるに違いないと思っていたパッセージがひとつあったのですが、果たして聴衆は一斉に熱狂してしまいました。そして大拍手です。…(中略)…嬉しさのあまりぼくは交響曲が終わるとすぐにパレ・ロワイヤルに行って上等のアイスクリームを食べました…」(1778年7月3日)これは母が亡くなった夜に父宛に書いた手紙ですが、「交響曲ニ長調K.297『パリ』」の初演大成功こそ、悲惨なパリでモーツァルトが会心の笑みを浮かべた唯一の時でした。華々しい第一楽章と、時折半音変化による憂いを含みながら優美な旋律を繰り広げる第二楽章、風変わりで新しいものが好きなパリの聴衆に喝采を浴びた第三楽章は、弦の激しい動きを管楽器の華やかな音色が彩る典雅で輝かしいフィナーレです。なお、第二楽章はル・グロが「転調が多過ぎる上に長過ぎる」と評したため、新たに規模も小さく簡潔なアンダンテ楽章を書きました。第2稿(パリ初版)ですが、どちらのアンダンテもモーツァルトはそれなりに気に入っていたようです。クリストファー・ホグウッド指揮、エンシェント室内管弦楽団の演奏で聴きました。
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ピアノ三重奏曲ホ長調 K.542
1788年の6月から10月にかけて、三大交響曲をはさんで3曲の三重奏曲(K.542、548、564)が作曲されました。「ピアノ三重奏曲ホ長調K.542」は、「いつお宅で演奏会を開きましょうか。ぼくは新しいトリオを1曲書き上げました。」(1788年6月17日付け、プフベルク宛て)とあるように、プフベルク家の音楽会のために書かれました。この曲は、2年前に作曲された「変ロ長調K502」と並ぶこのジャンルの傑作です。ミヒャエル・ハイドンを招いて演奏するよう依頼した姉への手紙(8月2日付け)に、「彼の気に入らないはずはないでしょう。」と記した自信作です。内面的なニュアンスを伝える和声とメロディーによって、詩的な虹彩を豊かに放つ作品となっています。ボザール・トリオの演奏で聴きました。
「夕べの想い」K.523
『夕暮れとなった。日は沈み、月は銀の光を投げかけている。こうして人生のもっとも美しい時が過ぎ去ってゆく…私たちの芝居は終わった。友たちの涙が、はや私たちの墓の上に降り注ぐだろう。…私はこの人生の巡礼の旅を終え、安息の国へと飛んでゆくのだ。そしてあなたがたが私の墓の前で涙を流し、灰になった私を見て悲しむ時には、おお友たちよ、私はあなたがたの前に現れ、天国の風をあなたがたに送ろう。…その涙は私を飾るものの中で、もっとも美しい真珠となるだろう!』1787年、モーツァルト31歳の6月24日に、カンペの詩に作曲した歌曲「夕べの想いK.523」です。人生への諦念と死への想いが、深々と歌われます。ペーター・シュライアーのテノール、イェルク・デームスのピアノで聴きました。
ピアノ・ソナタハ長調 K.545
「ソナチネ」として知られる「ピアノ・ソナタハ長調K.545」は、ピアノを学ぶ人なら誰もが練習する作品です。よく知られた曲にもかかわらず、作曲の経緯に関する情報がほとんどありません。自作品目録に1788年6月26日付けで「初心者のための小さなクラヴィーア・ソナタ」と書かれています。おそらく、誰かから作曲を依頼されたか、弟子のために書かれたと思われます。三大交響曲(K.543、550、551)と同時期に書かれたこのソナタは、円熟と充実の極みに達していく時期の作品にふさわしく、当時の熟達した手腕を見事に示しています。初心者向けに単純明快に書かれてはいますが、いっそう簡潔で引き締まった構成を持ち、洗練された優雅な気品と軽やかさに溢れています。第二楽章アンダンテでは、平明で美しいメロディーがメランコリックなト短調に転じ、様々に表情を変化させながら、しみじみと語りかけてくるようです。イングリット・ヘブラーのピアノで聴きました。
交響曲変ホ長調 K.543
1788年6月から8月にかけて、モーツァルトは3つの交響曲を完成させました。これが有名な「モーツァルトの三大交響曲」と呼ばれるもので、その最初の作品「交響曲変ホ長調K.543」は、清澄な響きと歌謡性に満ちた古典交響曲を代表する傑作です。壮大で大規模な序奏は、底知れぬ暗い不安定な響きと、堂々とした構築物を思わせる響きが渾然一体となり、無限の広がりを感じさせます。オーボエの替わりにクラリネットを使用していることで、第二楽章でモーツァルト特有の柔らかく自然な歌謡性を生み出しています。第三楽章トリオのクラリネット2本が奏でるレントラー風のメロディーが印象的です。第四楽章の主題について、小林秀雄はエッセー『モオツァルト』のなかで、「今、これを書いている部屋の窓から、明け方の空に、赤く染まった小さな雲のきれぎれが、動いているのが見える。まるで(第四楽章主題)の様な形をしている、とふと思った。」と書いています。あまりにも清澄な曲調を持ち、内部に秘められた複雑な転調や陰影にもかかわらず、白鳥のような美しい姿をしていることから、『白鳥の歌』と呼ばれるこの曲を、カール・ベーム指揮、ベルリン・フィルハーモニーの演奏で聴きました。
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