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「日々雑感」に掲載した曲を纏めました。
ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調 K.364
約1年半にもおよんだマンハイム=パリ旅行を終えて、1779年モーツァルトは故郷ザルツブルクに帰郷しました。この旅行中にパリで母マリア・アンナと死別し、就職活動の失敗とアロイジア・ウェーバーに失恋するなど数多くの苦い人生経験をします。帰郷後の夏作曲された「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364」は、悲痛な経験を反映してか、憂愁の陰が色濃く全曲を覆っています。ギドン・クレーメルのヴァイオリン、キム・カシュカシャンのヴィオラで聴きました。
三重唱「まことの恋は見あたらない K.549
1788年に書かれた「三重唱 まことの恋は見あたらないK.549」は、恋人の変心を嘆くカンツォネッタ。木管楽器の伴奏が美しい小品。エリー・アーメリングとエリ−ザベト・コーイマンスのソプラノ、ペーター・ファン・デル・ビルトのバリトンで聴きました。
ヴァイオリンとピアノのための協奏曲ニ長調 K.Anh56
実はこの曲、K.306のヴァイオリン・ソナタを元に120小節しか残されていなかった断片から、音楽学者フィリップ・ウィルビーが全曲を復元したもの。とはいえこの曲を聴いていると、まぎれもなくモーツァルトのオリジナルのように聴こえるのです。五嶋みどりのヴァイオリン、クリストフ・エッシェンバッハのピアノで聴きました。
ピアノ・ソナタニ長調 K.576
モーツァルトの最後の「ピアノ・ソナタニ長調K.576」は、プロシャの皇女フリーデリーケ・シャルロッテ・ウルリーケから依頼を受けた「やさしいピアノ・ソナタ」。全部で6曲の依頼を受けましたが、出来たのはニ長調1曲だけ。しかも「やさしい」どころか、玄人向きのきわめて高度な充実した内容の作品になりました。スペインの女流ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャのピアノで聴きました。
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ディヴェルティメントニ長調 K.334
1779年1月ミュンヘン、マンハイム、パリ旅行からザルツブルクに帰郷したモーツァルトは、1780年まで故郷に滞在します。「ディヴェルティメントニ長調K.334」はおそらくこの間にザルツブルクのロビニヒ家のために作曲されたと考えられています。ロビニヒ家はザルツブルクの名門貴族で、そのロココ風の邸宅は現在もザルツブルクに残っています。モーツァルトが「ジーゲル」の愛称で呼んでいた息子のジークムントが1780年7月ザルツブルク大学の法科の最終試験を終えているので、この作品はその時のフィナール・ムジークと推測されます。これに先立つマンハイム、パリ旅行で、モーツァルトは母の死、就職の失敗、失恋と、様々な試練を経験しますが、この経験は芸術的に見れば感情表現の彫りの深さにおいて、大きな飛躍をもたらしたと言えるでしょう。ディベルティメントK.334に見られる内面的スケールの大きさと豊かさ、室内楽的な形式との見事な調和が、それを如実に物語っているように思います。ロココの美がこぼれるようなこの曲を、ボスコフスキー指揮、ウィーン・モーツァルト合奏団の演奏で聴きました。
交響曲ト短調 K.550
1788年6月から8月のかけて、モーツァルトは3曲の交響曲を作曲します。いわゆる「モーツァルトの三大交響曲」と言われるものですが、どのような目的でこれらの交響曲が作曲されたのか、初演はどのように行われたかについては、詳しいことは判っていません。7月25日に完成された「交響曲ト短調K.550」は、わずか2曲しかないモーツァルトの短調交響曲ということもあり、特別な興味を持って演奏され論じられてきました。悲劇的な苦痛に満ちた世界が、時に嵐のように吹き荒れる激情となってほとばしり、時に哀切きわまりないメランコリーが捉えどころのない不安感となって揺れ動きます。しかし、ロマン派の作曲家シューマンのように、「ギリシャ風にたゆとう優美さ」と表現する人もいて、この曲の流麗さを表しているようです。往年の名指揮者ブルーノ・ワルター指揮、コロムビア交響楽団の演奏で聴きました。
5つのコントルダンス K.609
「5つのコントルダンスK.609」は、モーツァルトが最晩年に宮廷舞踏会のために作曲した多数の舞曲の内の一曲。ボスコフスキー指揮、ウィーン・モーツァルト合奏団の演奏で聴きました。
「働きすぎの人たちのために、ほんの6分20秒たらずでリフレッシュする薬を調剤しよう」と、高橋英郎氏が気のきいたコメントを付けています。以下にそれを紹介しましょう。
第一曲ハ長調  『フィガロ』の「もう飛ぶまいぞ」の主題がもやもやを吹き飛ばす。第二曲変ホ長調 かわい娘ちゃんに微笑みたくなるようなフルートのよろこび。第三曲ニ長調 ティンパニーが入って陽気になる。第四曲ハ長調 さあ、レントラーで踊ろう。三つのトリオがこれまた胸にせまる。第五曲ト長調 ここで呼吸を整えて、世の愚かさとお別れする。モーツァルトのダンス好きは有名です。
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セレナードニ長調 K.320「ポストホルン」
町から町に郵便を運ぶ郵便馬車の御者が吹き鳴らしたラッパを使用していることから、「ポストホルン」と通称される「セレナードニ長調K.320」をネヴィル・マリナー指揮、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズの演奏で聴きました。第五楽章はセレナードとしてはめずらしく、暗い情緒が漂います。アインシュタインによると、旅を象徴する郵便ラッパはザルツブルクを離れたいというモーツァルトの憧れを表しているそうです。
ヴァイオリン・ソナタヘ長調 K.547
「ヴァイオリン・ソナタヘ長調K.547」は、「初心者のために」1788年7月10日に完成されました。いわゆる三大交響曲と相前後して書かれたモーツァルト最後のヴァイオリン・ソナタです。簡潔で美しいこの曲を、ヒロ・クロサキのヴァイオリン、リンダ・ニコルソンのフォルテピアノで聴きました。
クラリネット、ピアノ、ヴィオラのための三重奏曲変ホ長調 K.498
これぞ遊びのトリオ。ケーゲルシュタット(九柱戯、現在のボーリングに似た球技。ただしピンは九本。)をしながら書いたと言われる「三重奏曲変ホ長調K.498」は細やかな愛情に溢れ、洒落た男女の会話が弾むよう。私の大好きな曲です。ジェイムズ・レヴァインのピアノ、カール・ライスターのクラリネット、ヴォルフラム・クリストのヴィオラで聴きました。
セレナードニ長調 K.185
「セレナードニ長調K.185」は、ザルツブルク州知事のアントレッター家の祝い事のために書かれた通称アントレッター・セレナード。第二楽章のヴァイオリン・ソロはとても美しいです。ヴェーグ指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカの演奏で聴きました。
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歌劇「後宮からの逃走」K.384
「後宮からの逃走K.384」は楽しく愉快なオペラです。とりわけオスミンのユーモアたっぷりの喜劇性には笑いが止まりません。アリア「こんな風来坊は」については、モーツァルトの音楽美学が窺えて興味深いものがあります。「音楽はどんなに怖ろしい個所においても、けっして耳に不快感を与えることなく、やはり楽しみを与える、つまり常に音楽でなければなりません。」(モーツァルト)ゲオルグ・ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー、マルッティ・タルヴェラ(Bs)のオスミンで聴きました。
ロンドン・スケッチブック K.15a-ss
1764年モーツァルト8歳の時、ロンドン郊外のチェルシーで作曲されたことから「ロンドン・スケッチブックK.15a-ss」と呼ばれる43曲の小品集。天才少年の実力を知ることが出来、興味が尽きません。エリック・スミスのチェンバロで聴きました。この小品集はエリック・スミスがオーケストラに編曲したものがあり、この二つを聴き比べるも楽しいです。
交響曲ハ長調 K.551「ジュピター」
1788年8月10日に完成された、いわゆる「三大交響曲」の最後を飾る「交響曲ハ長調K.551」はモーツァルトを代表する作品として、「ジュピター」の名で知られています。古典派交響曲の頂点に達したこの曲は、その名に相応しく堂々とした風格と気品を持っています。イタリア・オペラの序曲に近い形から始まったモーツァルトの交響曲の創作は、巨大な構築物でありながら類い希な歌謡性と生命力に溢れ、古今に絶する壮大な芸術作品となって開花しました。第一楽章の厳格なユニゾンと繊細な楽想との融合は、巧妙な転調と対位法によって見事に展開されます。第二楽章の神韻渺々とした天上的な雰囲気は、もはやこの世のものとは思われない美しさを漂わせています。第四楽章の有名な「ドレファミ」の音型を主題として、それに続く三つの主題が次々と組み合わされて驚くべきポリフォニーが展開し、聴く者はその凄絶とも言えるフーガに圧倒されます。それはモーツァルトの心の中に鳴り響いた宇宙的調和の世界ではなかったでしょうか。誰よりもモーツァルトを愛した往年の名指揮者ブルーノ・ワルター指揮、コロムビア交響楽団の演奏で聴きました。
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ピアノ協奏曲ニ長調 K.451
「ピアノ協奏曲ニ長調K.451」はロマン的な起伏に豊んだウィーン時代前期の作品。内田光子のピアノ、ジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団の演奏で聴きました。
セレナードニ長調 K.250「ハフナー」
1776年ザルツブルクのハフナー家の婚礼のために書いた「セレナードニ長調K.250」は、美しい旋律と歌謡性、構成の豊かさと躍動感、美しい響きに宿る気品などモーツァルトらしさがたっぷり楽しめる名作です。ウィリー・ボスコフスキー指揮、ウィーン・モーツァルト合奏団の演奏で聴きました。
ホルン協奏曲変ホ長調 K.447
「ホルン協奏曲変ホ長調K.447」は、親友ロイトゲープのために書いた4曲あるホルン協奏曲の中で最も完成度の高い作品。ホルン特有の牧歌的な響きに溢れた第一楽章、愛らしい旋律が始終溢れる第二楽章、狩の角笛が森のかなたから聞こえて来そうな第三楽章、ホルンのおおらかな音を聴いていると自然の暖かさに包まれる思いがします。デニス・ブレインのホルン、カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏で聴きました。
交響曲変ホ長調 K.184
「交響曲変ホ長調K.184」は、3つの楽章が連続して演奏される、オペラ序曲として書かれた典型的なシンフォニア。第二楽章ハ短調アンダンテは切々としたやるせない情感を湛え、一編のオペラアリアを聴くようです。ジェイムズ・レヴァイン指揮、ウィーン・フィルハーモニーの演奏で聴きました。
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ピアノのための幻想曲ニ短調 K.397
「ピアノのための幻想曲ニ短調K.397」はピアノ学習者も練習する有名な小品。深々とした幻想と、とりわけ後半のアレグレットは息をのむ美しさです。マリア・ジョアオ・ピリスのピアノで聴きました。
ヴァイオリン・ソナタイ長調 K.526
1787年8月「ドン・ジョヴァンニ」完成の2か月前に作曲された「ヴァイオリン・ソナタイ長調K.526」は、短調の翳りが濃いアンダンテが魅力的です。ヴァイオリンとピアノの声部の独立性が著しく、長大な構成を持つこの曲は、ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」に影響を与えていると言われています。アルテュール・グリュミオーのヴァイオリン、クララ・ハスキルのピアノで聴きました。
二重唱「さあ、いとしい娘よ一諸に行こう」K.625
猫の二重唱「さあ、いとしい娘よ一諸に行こうK.625」は、「魔笛」と前後してシカネーダーが書いた歌詞にモーツァルトが作曲した愉快な二重唱です。「さあ、かわいい娘さん、一諸にあの小屋へ行こう」「ニャン、ニャン、ニャン、ニャン!」「おまえは僕だけに尽してくれるかい?」「ニャン、ニャン!」そのうち二人とも「ニャン」になってしまいました。エヴァ・リンドのソプラノ、アントン・シャリンガーのバスで聴きました。
三台のピアノのための協奏曲 K.242
「三台のピアノのための協奏曲K.242」はザルツブルクの貴族ロードロン伯爵夫人とその2人の令嬢のために書いたもの。華やかなギャラントスタイルは、社交的な場にふさわしい作品です。ヴラディーミル・アシュケナージ、ダニエル・バレンボイム、フー・ツォンのピアノで聴きました。
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ピアノ・ソナタハ長調 K.330
アインシュタインが「かってモーツァルトが書いた最も愛らしいものの一つ」と呼んだ「ピアノ・ソナタハ長調K.330」は、近年まで1778年パリで書かれたと考えられていましたが、アラン・タイソンの自筆譜の研究により1783年の作曲とされました。明るく晴れやかなこの曲を、クラウディオ・アラウのピアノで聴きました。
弦楽四重奏曲ニ短調 K.173
内省的な室内楽で秋の夜長を過ごすのは、この上ない幸せの一時です。「弦楽四重奏曲ニ短調K.173」は、1773年8月〜9月にヴィーンで書かれた6曲の弦楽四重奏曲(いわゆる『ヴィーン四重奏曲』)の最後を飾る作品。のちの「ニ短調K.421」(ハイドン・セット)には比べるべくもありませんが、オクターブの跳躍で始まる主題はユニーク。優雅なアンダンテ、メランコリックなメヌエットなど、6曲の中では一番聴きごたえのある作品です。イタリア弦楽四重奏団の演奏で聴きました。
ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲変ロ長調 K.424
ヨーゼフ・ハイドンの弟ミヒャエルのための代筆と言われる「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲変ロ長調K.424」は、もう1曲の「ト長調 K.423」とともに、美しい旋律が自由闊達に歌われる佳品です。グリュミオーのヴァイオリン、アッリゴ・ペリッチャのヴィオラで聴きました。
ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調 K.380
「ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調K.380」は、モーツァルトのウィーン時代の弟子で優れたクラヴィーア奏者、ヨゼーファ・アウエルンハンマー嬢に献呈されました。ト短調のアンダンテの甘い感傷を湛えたエレジーが印象的です。アウエルンハンマー嬢はかなりの醜女だったらしく、モーツァルトは「世にも醜い悪魔を想像するのにふさわしい女」と言っていますが、彼女のピアノの技量は高く評価していて、この曲を含む6曲のヴァイオリン・ソナタを献呈しています。また、モーツァルトのピアノ協奏曲を度々演奏しています。アルテュール・グリュミオーのヴァイオリン、ワルター・クリーンのピアノで聴きました。
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5つのディヴェルティメント K.439b
「5つのディヴェルティメントK.439b」は2本のクラリネットとファゴットのための作品。小粒ながらピリリと辛い、珠玉のような小品ぞろいです。カールマーン・ベルケシュと高嶋友子のクラリネット、岡崎耕治のファゴットで聴きました。
ヴァイオリン協奏曲ト長調 K.216
「ヴァイオリン協奏曲ト長調K.216」はフランス風のエスプリに満ちた魅力的な曲。すみずみまでいかにもモーツァルトらしい個性に溢れた傑作です。オーギュスタン・デュメイのヴァイオリン、クリヴィヌ指揮ワルシャワ・シンフォニアの演奏で聴きました。
セレナードニ長調 K.203
「セレナードニ長調K.203」は1774年ザルツブルク大学の学年末のお祝いのために書かれたと言われる大作。ヴァイオリン・ソロの協奏風楽章を含む、美しく豊かな楽想があふれる素晴らしい作品です。ウィリー・ボスコフスキー指揮、ウィーン・モーツァルト合奏団の演奏で聴きました。
ピアノ・ソナタ変ロ長調 K.333
まるで天女が舞い降りてくるように、軽やかに下降する音型で始まる第一楽章、歌心に溢れた第二楽章、軽やかに躍動する第三楽章、アンドレ・ジッドが弾くモーツァルトの「ピアノ・ソナタ変ロ長調K.333」を聴いて、アンリ・ゲオンは「これこそ真の歌だ」と語ったといいます。マリア・ジョアオ・ピリスのピアノで聴きました。
弦楽四重奏曲変ホ長調 K.428
「弦楽四重奏曲変ホ長調K.428」はハイドン・セット全6曲中で最もロマン的色彩の濃い作品。瞑想的な第二楽章と、メヌエットのハ短調のトリオが印象に残ります。イタリア弦楽四重奏団の演奏で聴きました。
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ピアノ・ソナタ変ロ長調 K.281
「ピアノ・ソナタ変ロ長調K.281」は、1775年初めミュンヘンの音楽愛好家デュルニッツ男爵のために書いた6曲のソナタの第3曲。即興的なファンタジーに富んだ作品で、華やかな技巧に彩られ、初期のチェンバロに近い音色を持っています。イングリット・ヘブラーのピアノで聴きました。
ホルン五重奏曲変ホ長調 K.407
「ホルン五重奏曲変ホ長調 K.407」は、親友ロイトゲープのために書かれた「半ばおどけた」(アインシュタイン)作品。2人の愉快な交友ぶりが窺えるユーモラスな作品です。ホルンのおおらかで暖かい音色が、ほのぼのとした雰囲気を醸し出します。アブ・コスターのナチュラル・ホルン、ラルキブデッリの演奏で聴きました。
弦楽三重奏のためのディヴェルティメント変ホ長調 K.563
ヘルマン・ヘッセの1920年の日記からの抜粋です。
「きようはよい日だ。再び生の味わいが感じられそうな気がする。生は再び可能になるばかりか、再び親しみ深いものとなるように思われる。この日の上に、私の色とりどりの生の手帳のこの一ページに、私はひとつの言葉を書きつけたい。《世界》とか《太陽》とか、魔力と輝きに満ちた言葉、響きに満ち、豊かさに満ち、充溢を超えて充ちあふれ、豊饒を超えて豊かな言葉、完璧な成就、完全な知識を意味する言葉を。すると、その言葉が私の心に思い浮かぶ、この日のための魔術的な記号が。それを私は大文字でこのページに書きつける──モーツァルトと。つまり、世界にはひとつの意味がある。それは音楽という比喩の形でわれわれに示されるのだ。」私の大好きな曲「弦楽三重奏のためのディヴェルティメント変ホ長調K.563」をグリュミオー・トリオの演奏で聴きました。
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歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」K.588
オペラ「コシ・ファン・トゥッテK.588」は、モーツァルトの諧謔精神を見事な音楽美で表現した素晴らしい作品です。現代風スワッピングのテーマが、背徳性があるという不当な理由を付けられて、ベートーヴェンなどに非難されたこともありますが、モーツァルトは「いき」の極地を、このオペラで描いたのです。軽妙洒脱な人情の機敏が、最高の音楽によって情感豊かに歌われて行きます。現代は「いき」を失ってしまった、貧しい文化の時代と言えるかも知れません。ドラベッラのアリア「恋はいたずら坊や」を、クリスタ・ルードヴィヒのメゾ・ソプラノで聞きました。
クラリネット五重奏曲イ長調 K.581
「クラリネット五重奏曲イ長調K.581」は、深まりゆく秋の静謐にふさわしい古今の絶品です。
そこはかとない悲しさを余韻嫋々と歌うクラリネットの響きは、モーツァルト晩年の諦念を秘めているかのようです。第二楽章ラルゲットは、この世の桎梏を超えて、彼岸への憧憬を表しているのでしょうか。レオポルド・ウラッハのクラリネット、ウイーン・コンツェルトハウス四重奏団の演奏で聴きました。
カッサシオン変ロ長調 K.99
モーツァルトは、ザルツブルク大学の学期末に学生たちが領主や教授に敬意を表すために演奏するための多楽章の器楽曲をたくさん作曲しています。いわゆる「フィナル・ムジーク」と言われるこれらの音楽は、肩のこらない楽しい音楽で、その代表的なものがカッサシオン、セレナード、ディヴェルティメントなどです。1769年作曲された「カッサシオン変ロ長調K.99」の第五楽章アンダンテは、襞こまやかな音型を用いた広がりのある静寂感で聴くものの心をとらえます。ウィリー・ボスコフスキー指揮、ウィーン・モーツァルト合奏団の演奏で聴きました。
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カノン「アヴェ・マリア」K.554
1778年に作曲された4声のカノン「アヴェ・マリアK.554」は、晩年に特有の気高く清々しいトーンを持っています。ミュンヘン滞在中にシュタルンベルク湖にある修道院ベルンリートを訪れて、そこの記念帳に書いたとされるところから、「ベルンリート・カノン」の名で知られて来ましたが、真偽のほどは定かではありません。もう40年も昔の高校生の頃、音楽の授業でこの曲を教わりましたが、その時の清らかな調べが今なお強く印象に残っています。ああ、若き日や今何処!コンチェントゥス・ヴォカリス女声合唱団の演奏で聴きました。
歌劇「魔笛」K.620
「新しい機械仕掛けの喜劇は、大がかりな費用をかけ、装置も豪華だったにもかかわらず、作品の内容と台詞が粗悪すぎたので、期待された喝采は受けなかった。」(ベルリン音楽週報)と、報じられたオペラ「魔笛K.620」ですが、聴衆の人気は日ごとに高まり、10月中、20回も上演されました。ストーリーに辻褄の合わない点があり、荒唐無稽なことも確かですが、それにもかかわらず、「魔笛」は永遠の生命を失わないでしょう。秋の夜長を「魔笛」の素晴らしいナンバーに耳をかたむけるのは、この上ない喜びです。たくさんある名盤の中から、カール・ベーム指揮、ベルリンPO、フリッツ・ヴィンダーリヒのタミーノ、フランツ・クラスのザラストロ、ロバータ・ピータースの夜の女王、フィッシャー=ディースカウのパパゲーノ、イヴリン・リアーのパミーナで聴きました。
交響曲ト短調 K.183
映画「アマデウス」の冒頭に用いられて有名な「交響曲ト短調K.183」は、後期の大傑作「K.550」に比べると規模は小さいものの、若々しい青春の傷みを直截に歌っています。シンコペーションの叩きつけるようなリズムと、爆発するように上昇する音型が効果的です。レヴァイン指揮、ウイーンPOの演奏で聴きました。
クラリネット協奏曲イ長調 K.622
第二楽章アダージョが、静かに人生の挽歌を歌う「クラリネット協奏曲イ長調K.622」。死の2カ月前に書かれたこの曲は、もう長くない自分の命を予感しているかのように澄み切った心情が漂よっていて、モーツァルトの「白鳥の歌」と言われます。「白鳥の歌」とは、白鳥がこの世を去る時、最後に歌うという伝説を言います。アルフレート・プリンツのクラリネット、カール・ベーム指揮、ウイーンPOの演奏で聴きました。
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ピアノ協奏曲イ長調 K.414
「ピアノ協奏曲イ長調K.414」は、1782年ウイーンに定住して最初に書いたピアノ協奏曲です。予約演奏会のために、「ヘ長調K.413」、「ハ長調K.415」とともに3曲セットで書かれました。これら3曲について、モーツァルトは父への手紙で、「これらの協奏曲はむつかしくもなく、やさしくもなく、中くらいで、耳に快い、とても派手な曲です。─といって、けっして空虚なものではありません。いたるところに専門家を満足させるところもあり、その反面、初心者をもなんとなく喜ばせることができると思います」と述べています。内田光子のピアノ、ジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団の演奏で聴きました。
ピアノ協奏曲ハ長調 K.503
ウイーン時代の傑作「ピアノ協奏曲ハ長調K.503」は、1784年から続いた一連の協奏曲シリーズの最後を飾る、円熟した内容を持っている作品。この曲は1786年、友人のトラットナー氏のカジノ場での音楽会のために作曲されたとか。いかにも賭事の好きなモーツァルトにふさわしいエピソードです。堂々としたこの曲を聴きながら、ルーレットを回すモーツァルトを想像してほくそ笑んでいます。アリシア・デ・ラローチャのピアノ、デイヴィス指揮、イギリス室内管弦楽団の演奏で聴きました。
セレナード変ホ長調 K.375
モーツァルトの管楽器のための合奏曲は、管楽器特有の音色と味わい深いアンサンブルの醍醐味が楽しいジャンルです。「セレナード変ホ長調K.375」はウイーンに定住して早々に書かれた管楽合奏曲です。1781年10月31日の夜、就寝しようとしていたモーツァルトは、ふと流しのセレナードを耳にしました。「それはぼく自身の曲でした。彼らは家の門を開けさせ、庭の中央に陣どって、服を脱ごうとしていたぼくに、最初の変ホ長調の和音でこの上なく快い不意打ちをくわせたのです。」と11月3日付けの父宛の手紙で書いています。流しの楽士たちが、自作のセレナードを演奏してくれるなんて素敵ですね。豊かな曲想と、楽しく優美なこの曲を、オランダ管楽アンサンブルの演奏で聴きました。
ピアノ協奏曲ヘ長調 K.413
「ピアノ協奏曲ヘ長調K.413」は「イ長調K.414」に次ぐウィーン時代2作目の協奏曲。何と言っても、第二楽章ラルゲットのソット・ヴォーチェの優しさが素晴らしい。まさに癒しの音楽です。ペーター・フランクルのピアノ、イギリス室内オーケストラのメンバーによる弦楽五重奏版で聴きました。
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幻想曲ハ短調 K.475/ピアノ・ソナタハ短調 K.457
モーツァルトより2歳年下の優れたピアノの弟子、マリーア・テレージア・フォン・トラットナー夫人は、モーツァルト一家がトラットナー邸に住み込んで、子供たちの面倒を見てもらっていたこともあり、大変親しい間柄でした。モーツァルトはウィーンに定住して早々の生活を、つぎのように書いています。「毎朝6時に床屋が来て、僕を起こします。─7時までにすっかり服を着ます。─それから10時まで作曲です。─10時にはフォン・トラットナー夫人のところで時間をとり、11時にはルムベーケ伯爵夫人のところですが、二人とも僕に12回のレッスンで6ドゥカーテンをくれます。─毎日の出稽古です─」(1781年12月22日、父レオポルド宛の手紙)トラットナー夫人に献呈された、「幻想曲ハ短調K.475」と「ピアノ・ソナタハ短調K.457」は、古今のピアノ曲中最高傑作と言われます。ハ短調という暗く激しい調性は、堅固な構成とともに芸術的内容を高めています。ワルター・ギーゼキングの演奏で聴きました。
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 K.218
モーツァルトは19歳の1775年4月から12月にかけて、5曲のヴァイオリン協奏曲を立て続けに作曲しました。その第4曲「ニ長調K.218」は軍隊行進曲風の出だしから、「軍隊風」とも言われます。前作に比べて独奏ヴァイオリンはより輝かしく多彩な表現が与えられ、形式的にもより自由なものになっています。第二楽章アンダンテ・カンタービレの甘美な愛の告白にうっとりします。ヴォルフガング・シュナイダーハンのヴァイオリン、ベルリンPOの演奏で聴きました。
ピアノ四重奏曲ト短調 K.478
1785年モーツァルトの友人で音楽出版社のホフマイスターは、家庭向きのピアノ四重奏曲を3曲注文しました。モーツァルトは2曲の四重奏曲を書きましたが、その第一作が「ピアノ四重奏曲ト短調K.478」です。ところが、内容が芸術性豊かな厳粛なものだったため、ホフマイスターから「むつかしすぎる」との文句が出ました。そのため、第二作の「変ホ長調K.493」はアルタリア社から出版されました。暗く深い情感が込められた「ト短調K.478」を、アンドレアス・シュタイアーのハンマーフリューゲル、レザデューの演奏で聴きました。
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グラスハーモニカのためのアダージョとロンドハ短調 K.617
「グラスハーモニカのためのアダージョとロンドハ短調K.617」は最後の年1791年の5月に作曲されました。秋の夜がふけて聞こえてくるグラスハーモニカの神韻渺々たる響きは、神秘な音色そのままに澄み切った響きの中に内面の深い翳りを宿しています。その音色はゲーテが「世界の深奥の生命」を聞くようだと評しました。ブルーノ・ホフマンのグラスハーモニカ、バイエルン放送交響楽団のメンバーによる演奏で聴きました。
ピアノ・ソナタト長調 K.283
K.279から284までの6曲のピアノ・ソナタは、1775年の始めにミュンヘンの音楽愛好家デュルニッツ男爵のために、連作として書かれたと考えられています。シリーズ第5曲の「ピアノ・ソナタト長調K.283」は、流れるような歌謡性に溢れた作品です。イングリッド・ヘブラーの演奏で聴きました。
ピアノ協奏曲ハ長調 K.415
「ピアノ協奏曲ハ長調K.415」はK.414/K.413と共にウイーンで作曲された最初の本格的な協奏曲です。トランペットやティンパニーまで加えた大きな編成で、ウイーン情緒華やかな曲です。第二楽章の甘美なメロディーにも心癒されますが、第三楽章のハ短調のエピソードがもの悲しく胸にしみ入るようです。内田光子のピアノ、ジェフリー・テイト指揮、イギリス室内オーケストラの演奏で聴きました。
ピアノ三重奏曲ト長調 K.564
「ピアノ三重奏曲ト長調K.564」は単純な形式の中に暖かく澄んだ幸福感を漂わせた作品。第二楽章の主題が、12歳で作曲した「バスティアンとバスティエンヌ」の幕開けでバスティエンヌが歌うアリア「いとしい人は私を捨ててしまったの」によく似ています。終楽章のシチリア風アレグレットがとても爽やかです。ロンドン・フォルテピアノ・トリオによる演奏で聴きました。
ミサ曲ハ短調 K.427
ウィーンに定住して2年目の1782年、モーツァルトは父の反対を押し切って、コンスタンツェ・ヴェーバーと結婚しました。「彼女と結婚できたら、新しいミサ曲を作曲して、妻を自分の家族に紹介するためのザルツブルクへの帰還に際して、彼女に歌わせて曲を同地で演奏しょう。」と誓いを立てました。この時作曲したのが、「ミサ曲ハ短調K.427」です。しかし、ミサ曲は何故か未完のままで、1783年10月26日にザルツブルクの聖ペテルス教会で初演されました。未完ではあっても、このトルソーが「それのみで燦然と輝いている」(アインシュタイン)と言われるように、堂々とした規模と豊かな内容に溢れています。ガーディナー指揮、イギリス・バロック管弦楽団の演奏で聴きました
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弦楽四重奏曲ニ長調 K.155
「弦楽四重奏曲ニ長調K.155」は、1772年の第三回イタリア旅行の冒頭を飾る、明るく愉悦感に満ちた作品。K.155〜K.160までの6曲の四重奏曲を「ミラノ四重奏曲」と呼んでいますが、第1曲の「K.155」はボルツァーノで作曲が始められたことが、父親レオポルドの手紙に「退屈しのぎに四重奏曲を書いている」と書かれていることから窺われます。イタリア弦楽四重奏団の演奏で聴きました。
ピアノ・ソナタニ長調 K.311
モーツァルトは1777年の9月、母マリーア・アンナと2人でマンハイム・パリ旅行に出かけます。旅の途中アウグスブルクの楽器製作者シュタインのもとを訪れ、かって見ないほど素晴らしいピアノフォルテと巡り会います。モーツァルトは高度な技術と音楽への深い理解に裏付けされたこの楽器に強い感銘を受け、2曲のピアノ・ソナタ(K.309、K.311)が生まれます。自信と輝きに溢れた「ピアノ・ソナタニ長調K.311」を、マリア・ジョアオ・ピリスの演奏で聴きました。
交響曲ハ長調 K.425「リンツ」
1783年7月、モーツァルトは前年に結婚した妻コンスタンッエを伴ってザルツブルクに里帰りをしました。結婚に反対した父や姉との関係もうまく修復出来ず、ウィーンへの帰途立ち寄ったリンツで、トゥーン=ホーエンシュタイン伯爵から交響曲の演奏を依頼されました。あいにく手持ちの交響曲がなかったので、演奏会までのわずか数日で作曲したのが、リンツの名で知られる「交響曲ハ長調K.425」です。荘重な序奏で始まるこの曲は、時代の様式とモーツァルトの個性が見事に合致し、優美と活気に溢れた気品ある交響曲です。カルロス・クライバー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の1991年ウィーン、ムジークフェラインでのライブ演奏で聴きました。
シェーナ「わがうるわしの恋人よ」K.528
1787年モーツァルトは歌劇『ドン・ジョバンニ』初演のためプラハに行きます。親友ドゥーシェク夫妻の別荘ベルトラムカ荘で、モーツァルトが、「序曲」を一晩で書き上げたのは有名な話しです。ソプラノ歌手として活躍したヨゼーファ夫人は、コンサート・アリア一曲の作曲を求めましたが、なかなか約束を実行しないモーツァルトに業を煮やした彼女は、曲が出来上がるまで別荘に鍵をかけてモーツァルトを閉じ込めてしまったというエピソードが残っています。モーツァルトの方は「よし、それなら、初見で完璧に歌えなければ破いていまうから」と言って書いたのが、シェーナ「わがうるわしの恋人よK.528」です。#や♭のたくさん入った難曲をヨゼーファ夫人は見事に歌いこなし、彼は釈放されました。音楽と愛が美しく融け合ったこの素晴らしいアリアを、キリ・テ・カナワのソプラノで聴きました。
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ピアノ・ソナタハ長調 K.309
「ピアノ・ソナタハ長調K.309」は1777年10月マンハイム・パリ旅行で、マンハイム楽派の中心的音楽家クリスティアン・カンナビヒの娘ローザ嬢のために作曲した愛らしい曲。ローザ嬢について、モーツァルトは「15歳になるその娘は、とても美しく、感じのいいお嬢さんです。彼女は年齢のわりに非常にかしこく、落ち着いた態度です。真面目で、口数は少ないのですが、話すときは愛らしく好意に溢れています。きのうはまた、彼女はほんとうに言葉では言い表わせないほど僕を喜ばせてくれました。彼女が僕のソナタを、まったくすばらしく弾いたのです。このアンダンテを(速く弾いてはいけないのですが)、彼女はおよそ可能な限りの感情をこめて弾きました。」と書いています。ローザ嬢のイメージを思い浮かべながら、魅力溢れるこの曲をマリア・ジョアオ・ピリスの演奏で聴きました。
弦楽四重奏曲変ロ長調 K.458「狩」
冒頭のテーマが狩の角笛を思わせるところから、『狩』と呼ばれる「弦楽四重奏曲変ロ長調K.458」は、ハイドンに献呈された所謂《ハイドン・セット》(全6曲)の中の第四曲。シリーズの中で最も軽快で明るい曲です。とりわけ、第三楽章の暖かく充足したメロディーがたっぷりと歌われ、深い情感が湛えられたアダージョが見事です。イタリア弦楽四重奏団の演奏で聴きました。
ピアノのためのロンドニ長調 K.485
「ピアノのためのロンドニ長調K.485」は、ソナチネ・アルバムでもお馴染みの愛らしい小品。ヨハン・クリスティアン・バッハの「五重奏曲ニ長調」(作品16の6)から主題を借りたと言われています。しかし、この曲の流れるような旋律美は、モーツァルトの中から自然に湧き出て来たもの。完全に《モーツァルト調》になっています。イングリッド・ヘブラーのピアノで聴きました。
ピアノ・ソナタ変ホ長調 K.282
「ピアノ・ソナタ変ホ長調K.282」は1775年、ミュンヒェンの音楽愛好家デュルニッツ男爵のために書いた6曲のソナタ(K.279〜K.284)の第4曲。モーツァルトの全ピアノ・ソナタ中、アダージョで始まる唯一の曲です。叙情的な「ため息」のようなメロディーが歌われ、明澄自然な美が至福の時へと誘います。モーツァルトの時代、延音装置はまだ考案されていなかったことから、右ペダルをほとんど使わずに純粋な音と表現の美しさを生み出しているギーゼキングの演奏で聴きました。
フリーメイスンのための葬送音楽ハ短調 K.477
フリーメイスンは、自由、平等、博愛といったフランス革命の理想に通じる啓蒙主義の結社です。モーツァルトはこの結社の思想に深く共感して、1784年にウイーンの分団に加盟しました。「フリーメイスンのための葬送音楽ハ短調K.477」は、1785年11月、二人の盟友、メックレンブルク=シュトレーリッツ大公ゲオルク・アウグストと、エステルハージ・フォン・ガランタ伯フランツの死を悼んで書かれました。バセット・ホルンという暗い響きの楽器を使い、すすり泣くような出だしから、悲痛な哀惜の情に包まれます。ブルーノ・ワルター指揮、コロムビア交響楽団の演奏で聴きました。
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ピアノ三重奏曲変ロ長調 K.502
「ピアノ三重奏曲変ロ長調K.502」はスケールの大きな密度の濃い作品。1786年11月、三男レオポルドを生後1か月で亡くしたばかりの作曲なのに、どの部分も新鮮に輝いています。コンチェルタンテ風の輝きと親密さが見事なバランスを示しています。颯爽とした第一楽章のテーマは、K.450のピアノ協奏曲との類似性が見られます。ピアノとヴァイオリンが抒情的に歌い交わす第二楽章、ピアノをソロ楽器とし、ヴァイオリンとチェロをオーケストラとして協奏的対話を繰り広げる第三楽章など、室内楽の醍醐味を味わわせてくれます。ロンドン・フォルテピアノ・トリオの演奏で聴きました。
ヴァイオリン伴奏付きピアノ・ソナタ変ロ長調 K.8
「今、ヴォルフガング氏の4曲のソナタが版刻中です。表紙にこれが7歳の童子の作品だと書いてあったとき、これらのソナタが世間でひき起こすであろう大騒ぎをご想像ください。……あなたに申し上げられることは、神様が日々新たな奇跡をこの子に行ってくださっておられることです。」これは、1764年2月1日付けの父レオポルドの手紙です。正に神童と呼ばれるに相応しい様子が窺われます。モーツァルトは、1763年(7歳)から1765年(9歳)にかけてミュンヘン、マンハイム、パリ、ロンドン、アムステルダムなど西方への大旅行に出かけます。ここで言われている4曲のソナタとは、K.6〜9までのヴァイオリン伴奏付きのピアノ・ソナタのことで、いずれも旅行の途中パリで出版されました。「ソナタ変ロ長調K.8」は、パリ到着後まもなく書かれた作品で、第二楽章アンダンテは小さいながらも表情豊かな曲です。ジェラール・プーレのヴァイオリン、ブランディーヌ・ヴェルレのチェンバロで聴きました。
ヴァイオリン協奏曲イ長調 K.219
「ヴァイオリン協奏曲イ長調K.219」は、私が高校二年生の時、「ニ長調K.218」とカップリングされていたLP(ヴォルフガング・シュナイダーハンのヴァイオリン)で聴いて、あまりの美しさに陶然とした思い出の曲です。モーツァルトの5曲のヴァイオリン協奏曲は、すべて1773年から1775年にかけてザルツブルクで書かれましたが、ことに最後を飾るK.219は、様々な創意工夫に満ちていて、洗練された優美さと、内面的な深みのある素晴らしい曲です。第三楽章の中間部(トリオ)で異国情緒たっぷりのトルコ風の音楽になるため、『トルコ風』という愛称で親しまれています。久しぶりにシュナイダーハンのLPからの復刻版CDで聴きました。
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12のドイツ舞曲 K.586
また、冬の宮廷舞踏会のシーズンがやって来ました。「先週、ぼくは自宅で舞踏会を催しました。…僕たちは夕方6時に始めて7時に終わりました。なんですって?1時間きりなのかって?─いいえ、いいえ、─朝の7時に、なのです。」と手紙に書いたように、踊りが何よりも好きなモーツァルトにとって舞曲を作曲することは、本職(宮廷音楽家として舞曲を作曲することが義務ずけられていた)ことを考えに入れるとしても、楽しい息抜きでもあったことでしょう。それらの舞曲は晩年になるにつれて、繊細で透明になり洗練の度合いを増してきます。「12のドイツ舞曲K.586」は1789年12月のシーズンに書いた珠玉のような作品。暖炉にくべる薪がなければ、妻コンスタンツェとダンスを踊って身体を暖めたモーツァルトです。ウィリー・ボスコフスキー指揮、ウィーン・モーツァルト合奏団の演奏で聴きました。
弦楽五重奏曲変ロ長調 K.174
「弦楽五重奏曲変ロ長調K.174」はミヒャエル・ハイドンの「ハ長調五重奏曲」に刺激されて書かれました。1773年ザルツブルクで書かれた最初の弦楽五重奏曲です。意欲的な作品で、室内楽的な密度の高い表現が見られます。第一ヴァイオリンと第一ヴィオラを協奏風に扱っています。クイケン四重奏団にヴィオラの寺神戸亮が加わった演奏で聴きました。
レクイエムニ短調 K.626
1791年12月5日の午前0時55分、モーツァルトは昇天しました。書き始めた「レクイエムK.626」は「ラクリモーサ」の第8小節で中断しました。「レクイエム」については、灰色の服に身を包んだ痩せた背の高い男が、注文主の名を伏せた手紙を持参して作曲を依頼したというエピソードが伝えられています。生前モーツァルトは、このレクイエムは自分の死を弔うためのものだと信じていましたが、実際に聖シュテファン大聖堂で、7日におこなわれた第三等の葬儀(従来は6日とされていた)では、ミサひとつあげることは出来ませんでした。未完のため、後世多くの人たちによる補作や完成が試みられました。絶筆となった感動的な「レクイエム」を、1991年12月5日モーツァルト没後二百年を記念して、ウィーン聖シュテファン大聖堂で挙行されたミサのライブで鑑賞しました。演奏はゲオルグ・ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、アーリーン・オジェーのソプラノ、チェチーリア・バルトリのメッゾ・ソプラノ、ヴィンソン・コールのテノール、ルネ・パーペのバスです。
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交響曲ニ長調 K.504「プラハ」
モーツァルトの交響曲の中で最も味わい深いのは、「ニ長調K.504」と「変ホ長調K.543」です。1786年12月、プラハから「フィガロの結婚」の指揮を依頼されて、同地で初演したために「プラハ」と呼ばれる「交響曲ニ長調K.504」は、雄大な序奏で始まり、劇的緊張と内面的感情の高まりを見せています。メヌエットを欠く三楽章構成ですが、三つの楽章はいずれも、モーツァルトの到達した内なる世界の充溢を示しています。ワルター指揮、コロムビア交響楽団の演奏で聴きました。
ヴァイオリン伴奏付きピアノ・ソナタヘ長調 K.13
「ヴァイオリン伴奏付きピアノ・ソナタヘ長調K.13」は1765年、8歳のモーツァルトがロンドンで作曲した6曲のソナタ(K.10〜K.15)の第4曲。全曲は作品Vとして、シャーロット王妃に献呈されました。茶目っ気たっぷりの献辞を紹介します。音楽の守護神との会話で「きみは他の子供たちがまだABCを習っている年頃なのに、作曲できるなどどはずいぶんうぬぼれてるね?」「ぼくがうぬぼれてるって?ううん、ちがうよ。…ぼくはもうちょっと賢いので、ぼくの誇りをクラヴサンにあずけるだけだよ。でもそのクラヴサンが、ちょっとだけ余計に喋るんだ。それでこのお喋りがソナタを生み出すんだよ…」
K.13は全6曲中の意欲作。軽快なアレグロに続いて、メランコリックなアンダンテが真摯な表情を見せます。ジェラール・プーレのヴァイオリン、ブランディーヌ・ヴェルレのチェンバロで聴きました。
ピアノ協奏曲ヘ長調 K.459
「ピアノ協奏曲ニ長調K.537」は1790年10月15日、フランクフルトでのレーオポルト二世の戴冠式を祝う祝賀演奏会で演奏するために書かれたことから、「戴冠式」の名で親しまれています。この演奏会ではもう一曲の協奏曲が演奏されましたが、それが「ピアノ協奏曲ヘ長調K.459」です。そのため、『第二戴冠式協奏曲』と呼ばれています。全体に交響的な響きが増し木管楽器が効果的に用いられています。第二楽章の穏やかで清澄なメロディーに心が癒されます。クララ・ハスキルのピアノ、フェレンツ・フリッチャイ指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で聴きました。
ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調 K.481
1785年10月「フィガロの結婚」の作曲が開始されたのと同時期に書かれた「ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調K.481」は、幻想的で詩情溢れる第二楽章アダージョが素敵です。ヴァイオリンが音楽性豊かに歌いあげます。ヒロ・クロサキのヴァイオリン、リンダ・ニコルソンのフォルテピアノで聴きました。
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ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョホ長調 K.261
「ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョホ長調K.261」は「ヴァイオリン協奏曲イ長調K.219」の第二楽章の代替楽章として書かれたものと考えられています。「K.219」のアダージョと同じく甘美な叙情性に溢れ、深い味わい小品です。年の瀬のあわただしい一時、わずか7分ですが暖かく心を慰めてくれます。イツァーク・パールマンのヴァイオリン、ジェイムズ・レバイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で聴きました。
ピアノ協奏曲変ホ長調 K.482
「ピアノ協奏曲変ホ長調K.482」は、1785年冬のシーズン用予約演奏会のために書かれました。オーボエに替ってクラリネットを使用して、豊かな音色ときわめて洗練された内容を持ち、緻密な構成のうちにモーツァルト独自の世界が表現されています。とりわけ第二楽章ハ短調アンダンテのメランコリーが素晴らしく、初演された時には、「珍しくもアンダンテがアンコール」されました。ダニエル・バレンボイムのピアノと指揮、イギリス室内管弦楽団の演奏で聴きました。
ホルン協奏曲ニ長調 K.412/K.514
「ホルン協奏曲ニ長調K.412/K.514」は最近の研究で1787年の初稿に、1791年のものが加わり、その第二楽章ロンドは「レクイエム」と同じく、モーツァルトの死によって未完に終ったと推定されています。第一番となっていますが、ザルツブルク時代から親友のホルン奏者イグナーツ・ロイトゲープのために書かれた4曲のホルン協奏曲の最後の曲となります。ホルンの持つ牧歌的、狩猟的な気分に満たされた素朴な曲です。ところで、この曲の終楽章のスケッチには、独奏ホルンが入ってくるところに、「静かに─君、ロバ君、元気を出して─早く─続けろ─頑張れ─元気を出して、─畜生─ああ!─ああ!─憐れだな─ブラヴォー、みじめな奴め」とあり、また楽章の最後には「やれやれ、もうけっこう、もうけっこう!」と書かれています。この愉快ないたずら書きから、2人がいかに親密な関係にあったかが分りますね。ヘルマン・バウマンのホルン、ズーカマン指揮セント・ポール室内管弦楽団の演奏で聴きました。
弦楽五重奏曲ニ長調 K.593
「弦楽五重奏曲ニ長調K.593」はモーツァルト最晩年の1790年12月の作品。第一楽章の序奏ラルゲットは、チェロの深い音色の問いかけに4つの楽器が応答しながら、瞑想的な雰囲気を漂よわせます。一転して緊密な構成と多彩な変化に富む主部が続きます。透明な響きは晩年に特有の清澄な曲想と一体となって、五重奏曲の新たな境地を開いています。とりわけ、第二楽章アダージョの澄み切った諦念と嘆きの深さに感動します。クイケン四重奏団に第一ヴィオラの寺神戸亮が加わったオリジナル楽器による演奏で聴きました。
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レチタティーヴォとアリア「どうしてあなたを忘れられよう」K.505
「どうしてあなたを忘れられようK.505」はコンサート・アリアの絶品です。熱い想いを込めてナンシー・ストレース嬢に贈られたアリアは、何とオーケストラの伴奏のみならず、モーツァルト自身が演奏するための素晴らしいオブリガート・ピアノが付いています。「フィガロの結婚」の初演でスザンナを歌ったストレース嬢が、ロンドンへ旅立つ告別演奏会(1787年2月23日)で、モーツァルトのピアノ伴奏で演奏されました。当時ウィーンで「最高の音楽性と教養とテクニックを持った天性の歌姫」と絶賛されたストレース嬢に対する愛の告白です。テレサ・ベルガンサのメッゾ・ソプラノ、ジョフリー・パーソンズのピアノ、プリッチャード指揮ロンドン交響楽団の演奏で聴きました。
弦楽四重奏曲ト長調 K.387
ウィーンで充実した創作活動を開始したモーツァルトが、1782年12月31日に完成した「弦楽四重奏曲ト長調K.387」は、ハイドン・セット第一曲。これに続くK.421、428、48、464、465とともに、弦楽四重奏曲の歴史に燦然と輝く傑作です。ハイドンへの献辞に「長い辛苦の成果」と記しているように、モーツァルトには珍しく推敲と工夫の跡が見られます。意欲的な密度の濃い作品ですが、屈折し錯綜した感情を内に秘めています。終楽章のフーガの主題がジュピター交響曲のフィナーレを想わせます。アルバン・ベルク四重奏団の演奏で聴きました。
フルート四重奏曲ニ長調 K.285
「最愛のパパ、パパがとてもしあわせな新年を迎えられるよう祈っています。」(1777年12月20日、マンハイムより父宛)、「もう一度あなたがたに、新年おめでとうを申しあげます。新年が昨年よりもいい年でありますように。そして、新らしい年のうちに、あなたがたと楽しく再会できますように。」(マリーア・アンナより夫と娘宛)、「愛する妻と愛するヴォルフガング、本当に新年おめでとう!神が1778年を、昨年よりももっと良い年にしてくださいますように。」(レーオポルドより妻と息子宛)、「ママと最愛の弟に新年おめでとう!ママがもうすぐ元気で戻って来てくれるように、そして私の愛する弟が、行く先々でうまくいって、元気でいることをいつも願っています。」(ナンネルより母と弟宛)マンハイム滞在中の1777年12月25日、家族との年賀状のやりとりを書いた後で、モーツァルトは「フルート四重奏曲ニ長調K.285」を書きました。新年にふさわしく、「歌うアレグロ」がパリ風のロココの優美一杯の素晴らしい曲です。「この第二楽章では、蝶が夢想している。それはあまりにも高く飛び舞うので、紺碧の空に溶けてしまう。ゆっくりとして控え目なピチカートにより断続されながら流れるフルートの歌は、陶酔と同時に諦観の瞑想を、言葉もなく、意味を必要としないロマンスを表わしている。魂を満たすきわめて赤裸々な、いとも純粋な音…」(アンリ・ゲオン著『モーツァルトの散歩』より)ジェイムズ・ゴールウェイのフルート、東京カルテットの演奏で聴きました。
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オーボエ四重奏曲ヘ長調 K.370
「オーボエ四重奏曲ヘ長調K.370」は1781年の初めに、ミュンヘンの名手フリードリヒ・ラムのために書かれました。「美しく円やかな音色をもち、柔らかく真実なオーボエの音」「人を魅了する繊細さ、軽やかさ、豊かな表情を備えている」と最大級の賛辞を贈られたラムの名演奏を彷彿とさせる傑作です。軽快で飄々としたアレグロの楽しさ、とりわけアダージョの哀愁の響きが心に残ります。ハインツ・ホリガーのオーボエ、オルランド四重奏団の演奏で聴きました。
交響曲イ長調 K.114
「交響曲イ長調K.114」は1771年12月、15歳の少年モーツァルトが第二回のイタリア旅行から帰って最初に書いた作品です。イタリア風の流暢さから、より素朴で民俗的なメロディーが霊感の赴くままに美しく流れ、新しい「ウィーン風」のスタイルを模索しています。クリストファー・ホグウッド指揮、エンシェント室内管弦楽団の演奏で聴きました。
リート「子供の遊び」K.598
モーツァルトは最後の年、1791年1月14日に、子供の雑誌のために3曲の歌曲をまとめて作曲しています。「子供の遊びK.598」はそのうちの1曲。歌詞は「春への憧れ」と同じくオーファーベックによるものです。「ああ、もう沈んじゃうの?お日さま、こんなに早く。ぼくたちはまだ疲れてなんかいないのに。ああ、お日さま、もっとここにおいでよ!」「じゃあ、みんな、またあした、ぐっすりお休み、さようなら!明日になったらまた楽しく遊ぼうね!」もともと屈託のない詩ですが、子供たちの愉快な世界を軽やかなタッチで表現しながら、最晩年のモーツァルトの澄みきった響きが聞こえてきます。鮫島有美子のソプラノで聴きました。
弦楽四重奏曲イ長調 K.464
「弦楽四重奏曲イ長調K.464」はハイドン・セット第五曲。前作のK.458『狩』に比べて、外に向っていた心が再び内へと転じたことを感じさせます。そこに開かれた世界は広々と澄んで、晩年のモーツァルトの「明澄性」を特徴づけています。スイスの哲学者アミエルは、ベートーヴェンの作品とモーツァルトのこの曲を聴き比べて、日記に次のように書いています。
「(モーツァルトは)明るく澄みわたり、(ベートーヴェンは)厳粛である。前者が運命にもめげずに強いのは、人生をそれほど深刻にとっていないからであり、後者が弱いのは、自分を最大の不幸と思い込んでいるからである。モーツァルトにおいては、すべてが調和し、芸術が凱歌をあげている。ベートーヴェンにおいては、感情が勝利を占め、感動が芸術を深めながらもそれを乱してしまうのだ。」クイケン四重奏団のオリジナル楽器による演奏で聴きました。
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フルート四重奏曲イ長調 K.298
モーツァルトは1777年、マンハイムで知り合った医師でフルート愛好家のドジャンから、フルートの作品の作曲を依頼されます。こうして生れたのが、2曲のフルート協奏曲(K.313、K.314)と3曲のフルート四重奏曲(K.285、K.285a、K.285b)です。その後ウィーンに定住したモーツァルトは、1786年にドジャンのためにもう1曲の四重奏曲を書きます。それが「フルート四重奏曲イ長調K.298」ですが、全3楽章に当時良く知られたメロディーを借用して、娯楽的で軽妙な味わいのある曲となっています。ジャン=ピエール・ランパルのフルート、パスキエ・トリオの演奏で聴きました。
弦楽四重奏曲ハ長調 K.465「不協和音」
1785年1月15日、モーツァルトはハイドンを自宅に招いて6曲の弦楽四重奏曲(K.387、K.421、K.428、K.458、K464、K.465の6曲で、纏めてハイドンに献呈された)の前半の3曲を披露し、さらに2月12日、やはりハイドンの同席のもとに後半の3曲を演奏しました。この時ハイドンがレオポルドに語った次の言葉が、姉ナンネルへの手紙に見られます。「誠実な人間として神の前に誓って申し上げますが、ご子息は、私が知るかぎりの名実ともに最高の偉大な作曲家です。様式感に加えて、この上なく幅の広い作曲上の知識をお持ちです。」(1785年2月16日付レオポルドよりナンネル宛書簡)「弦楽四重奏曲ハ長調K.465『不協和音』」はハイドン・セットの最後を飾る傑作です。アダージョの序奏は、ニックネームの由来になり、後世議論の原因となった不協和音を連続して使用し、混沌としたカオスを表現しているかのようです。主部は一転して明快なアレグロとなり、その対比の鮮やかさが印象的です。第二楽章のアンダンテは深い精神性と表情に満ちた詩で、モーツァルトのカンタービレの魅力に溢れています。ハ短調のトリオを持ったメヌエット、充実した書法の終楽章など、モーツァルトの弦楽四重奏曲を代表する傑作を、アルバン・ベルク四重奏団の演奏で聴きました。
モテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」K.165
モーツァルトの宗教音楽の中で最も美しい曲といえば、モテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」K.165でしょう。1773年1月、3回目のイタリア旅行中に書かれたこの作品は、イタリア伝統のベル・カントの華やかさが際立った、まるでオペラのなかのアリアのような美しさに溢れています。幼子のような純真な心で、生きる喜びを歌っているかのようです。アーリーン・オジェーのソプラノ、バーンスタイン指揮バイエルン放送交響楽団の演奏で聴きました。
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ピアノ・ソナタヘ長調 K.332
冒頭のしなやかな3拍子のリズムにみずみずしい自然性を感じる「ピアノ・ソナタヘ長調K.332」は、近年まで、前作の「ハ長調 K.310」と同様に1778年にパリで作曲されたと考えられ、度々「パリ・ソナタ」の名で呼ばれて来ました。しかし、1980年代にアラン・タイソンの自筆譜の紙質の研究によって、「ハ長調K.330」「イ長調K.331(トルコ行進曲付)」とともに、3曲まとめて1783年ウィーンで作曲されたと訂正されました。従来のパリ趣味や、母の死をはじめとするパリでの出来事を背景として捉えられてきたこれらの作品は、むしろ意気揚々と新生活を始めたウィーンでの希望に溢れた生活の中から生まれたものなのです。K.332のソナタは流麗な調べの中にも、蓄積されるリズムのエネルギーが激しい音楽の流れとなって迸り、変化の多いダイナミックな音楽を展開しています。第二楽章は陰影に富んだきわめて美しいアダージョ、第三楽章は激しく奔放な勢いで始まり、多彩で絢爛たる世界を繰り広げます。マリア・ジョアオ・ピリスのピアノで聴きました。
フルート協奏曲ニ長調 K.314
「フルート協奏曲ニ長調K.314」は1778年1月か2月に、マンハイム・パリ旅行の途次、フルート愛好家ドジャンの依頼により作曲された作品です。ところが今世紀の初めに、オーボエ協奏曲の形をとるこの曲の筆写譜が発見され、研究の結果オーボエ協奏曲の方がオリジナルと考えられるようになりました。おそらく新しいフルート協奏曲を書く時間的余裕がなかったモーツァルトは、旧作のオーボエ協奏曲をフルートに適うように編曲して間に合わせたのだろうと推定されています。とはいえ最初からフルート用に書いたのではないかと思えるほど、フルートの特性を生かした名曲として、広く愛好されています。生き生きとしたギャラントな第一楽章、情緒豊かな第二楽章、明快で親しみやすい第三楽章と、流麗に歌うフルートの素晴らしい音色にうっとりとします。ジェームズ・ゴールウェイのフルート、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内オーケストラの演奏で聴きました。
自動オルガンのためのアダージョとアレグロヘ短調 K.594
「自動オルガンのためのアダージョとアレグロヘ短調K.594」は、ウィーンの蝋人形収集家ダイム伯爵が、1790年末に人形披露のために依頼した作品です。時計仕掛けの自動オルガンに組み込まれました。モーツァルトはあまり気が進まなかったようで、「ぼくは時計師のためのアダージョをすぐに書いて、いとしい貴女の手に何ドゥカーテンか握らせたいと決心したけれど、ぼくにはとても嫌な仕事なのでなかなかはかどらず、毎日書きかけては途中で止めてしまいます。……せめて大きな時計で、オルガンのように響くのなら張り合いもあるけれど、小さなパイプだけで出来ていて、音も高く、ぼくには子供だましの音にしか聞こえないのです。」と妻への手紙に書いています。つまりオルゴールのように、シリンダーが時計仕掛けで回転するのですが、音にきびしいモーツァルトの耳には合わなかったようです。しかし出来上った曲は精緻さと壮麗さを感じさせることから、この曲は上記の手紙の作品とは別作品と考えられ、1791年3月から8月にかけてウィーンのラウドン元帥廟で鳴らされた葬送音楽で、手紙の中で触れられた楽器より大きい楽器のための作品と考えられています。アンサンブル・ウィーン=ベルリンによる管楽合奏編曲版で聴きました。
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歌劇「ドン・ジョバンニ」K.527
「赤と黒」の作者スタンダールは「イタリア絵画史」の中で「晩秋、古城のほとり、落ち葉の散る並木道をさまよう夢みがちな憂愁の時、きみたちがめぐり会いたいと思うのはモーツァルトにちがいない。」と述べています。そのスタンダールはまた「ドン・ジョバンニ」を聴くためなら、私は何里の道でも歩いていこうし、何日でも監獄に入っていよう。だが、他のことのためならとてもこんな努力はしないだろう。」と言っています。歌劇「ドン・ジョバンニ」はモーツァルトのオペラを代表するドラマティックで陰影に富んだ比類のない作品です。あらゆる時代を通じて、最も個性的で魅力溢れるこのオペラから、レポレロのユーモラスなアリア「カタログの歌」を、エーデルマンのバス、フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニーの演奏で聴きました。
2台のピアノのための協奏曲変ホ長調 K.365
ザルツブルク時代の最後を飾る「2台のピアノのための協奏曲変ホ長調K.365」は、1779年初め姉ナンネルと共演するために作曲されました。2人の名手のための作品にふさわしく、2台のピアノは常に対等に渡り合い、喜びに溢れ華麗なカデンツァが繰り広げられます。共演する楽しさにあふれたこの曲を、ヴラディーミル・アシュケナージとダニエル・バレンボイムのピアノ、イギリス室内管弦楽団の演奏で聴きました。
ピアノ協奏曲変ホ長調 K.271
冒頭からピアノとオーケストラが一体となって香り高く歌い始める「ピアノ協奏曲変ホ長調K.271」は、1777年1月、演奏旅行の途上にザルツブルクを訪れたフランスの優れた女流クラヴィーア奏者ジュノム嬢のために作曲されたところから、「ジュノム協奏曲」と呼ばれます。内容の深さと斬新さからみても、ザルツブルク時代の作品の白眉と言えるものです。とりわけ悲しげな主題が印象的なハ短調の第二楽章は、たゆとう悲しさが恥じらうように歌われます。ジュノム嬢への賛美と若々しい青春の輝き、ここには、まぎれもなくピアノの詩人がいます。クララ・ハスキルのピアノ、ザッヒャー指揮ウィーン交響楽団の演奏で聴きました。
ピアノ協奏曲変ロ長調 K.238
旅に明け暮れしていたモーツァルトは、マンハイム・パリ旅行に出かける前の2年半あまり(1775年3月〜1779年9月)、久しぶりに故郷ザルツブルクに留まり、宮廷作曲家としての日々を過ごします。この間、多くの宗教作品や器楽曲が作られ、一挙に4曲のピアノ協奏曲(K.238、K.242、K.246、K.271)が誕生します。「ピアノ協奏曲変ロ長調K.238」は、全体に軽やかな愛くるしさと若々しさに満ちています。故郷でゆっくりと時を過ごすモーツァルトは、肩のこらないギャラントな音楽でザルツブルクの社交界を楽しませていたのでしょう。今年の5月に来津が待たれる、巨匠ウラディーミル・アシュケナージのピアノ、イッセルシュテット指揮ロンドン交響楽団の演奏で聴きました。
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弦楽四重奏曲ヘ長調 K.158
1772年の秋、モーツァルト父子は3度目のイタリア旅行に出かけます。前回の旅行に際してミラノの宮廷劇場と交わした謝肉祭シーズン用のオペラ「ルーチョ・シッラ」作曲の契約を果たすためでした。父子は10月24日にザルツブルクを後にしたものの、今回の旅行は思うようにこなせなかったらしく、「荒涼としたボルツァーノ」に泊まることを余儀なくされました。この宿で「あの子は今、退屈しのぎに弦楽四重奏曲を書いている」とレオポルドの手紙にあります。この旅行中に6曲の四重奏曲(ミラノ四重奏曲K.155〜K.160)が書かれましたが、「弦楽四重奏曲ヘ長調K.158」はシリーズの第四曲です。様々な様式を吸収する過程が窺われるミラノ四重奏曲の中では、かなり室内楽的な趣に富んだ作品です。イ短調で書かれた第二楽章はシンコペイトされたリズムが印象的です。イタリア弦楽四重奏団の演奏で聴きました。
ピアノのための小品集 K.1〜K.5
モーツァルトは幼い頃、よく周囲の親しい人に「ぼく好き?」と尋ねたといいます。もし冗談半分に「嫌いだよ!」とでも答えようものなら、たちまち涙を一杯浮かべたといいます。私はこのエピソードが大好きです。この愛に敏感な天才の音楽は、互いに愛し合う相互信頼の上に成り立っているように思います。ナンネルの楽譜帳に父親の手で書かれた、「ピアノのための小品集 K.1〜K.5」は、5歳から6歳にかけて作曲された可愛らしい作品です。エリック・スミスのチェンバロで聴きました。
フルートのためのアンダンテ ハ長調 K.315
「フルートのためのアンダンテ ハ長調K.315」は、マンハイムで知り合ったフルート愛好家ドジャンのために書かれた「フルート協奏曲ト長調K.313」の第二楽章が、深みのある内容のため素人音楽家には難かしすぎたため、その代替楽章として書かれたものと考えられています。もっともこの説は確かな裏付けがあるわけではなく、ドジャンのための3曲目の協奏曲の緩徐楽章ではないかとも推測されています。そのせいか、この牧歌的なアンダンテは親しみやすくわかりやすい内容となっています。穏やかな慰安に満ちたメロディーを聴いていると、しみじみと生きている幸福感に包まれます。ジャン=ピエール・ランパルのフルート、メータ指揮イスラエル・フィルハーモニーの演奏で聴きました。
ピアノ協奏曲変ホ長調 K.449
1781年にウィーンに定住して以来、4作目の「ピアノ協奏曲変ホ長調K.449」は、ザルツブルク出身の愛弟子バルバラ・プロイヤー嬢のために、1784年2月に書かれました。モーツァルトが自分自身で作りはじめた作品目録の第一号でもあります。冒頭から力強いトゥッティで始まる主題は、これまでの社交的で気軽な雰囲気を打ち破ろうとする意欲が感じられます。第二楽章の優しくしっとりとしたテーマが印象的です。今年65歳を迎える巨匠ウラディーミル・アシュケナージのピアノと指揮、フィルハーモニア管弦楽団の演奏で聴きました。
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