ルードヴィヒ・フォン・ケッヘル(Ludwig von Kochel 1800〜77)
オーストリアの音楽研究家。専門は植物学。徹底的な資料研究を基に、モーツァルトの作品を年代順に番号を付けて整理し、作品に関する詳細な情報を網羅した『モーツァルト全作品年代順主題目録』(1862年)を刊行し、モーツァルト研究に不滅の足跡を残した。各作品のみならず、全楽章・ナンバーの曲頭、小節数、自筆譜の所在、初版楽譜、標準的な出版譜、学問的な説明などを加えたこの徹底した作品カタログは、その後のありとあらゆる作品目録の規範となった。(写真右は『ケッヘル作品目録』の初版タイトルページ)
その後パウル・ヴァルダーゼー(Paul Graf Waldersee)によって1905年に改訂第2版が出版された。本質的な改訂作業はアルフレート・アインシュタイン(Alfred Einstein)によって行われ、断片(フラグメント)および偽作や疑作を目録本体に移し、新たに番号を付けた。また年代が判明したり、別の推定が行なわれた作品には、元の番号に加えて新たな番号が加えられ、配列も変更されて二重番号(ケッヘル=アインシュタイン番号)が付され、1937年に改訂第3版として出版された。その後、音楽的直感を過信し資料を軽視しているとの批判を受けた改訂第3版の更なる改訂作業が、フランツ・ギーグリング(Franz Giegling)、アレクサンダー・ヴァイマン(Alexander Weinmann)、ゲルト・ジーファース(Gerd Sievers)等の手によって行われ、1964年に改訂第6版として出版されている。しかし、第6版から四半世紀が経過しており、その間に行なわれた根本的な年代研究によって、「ケッヘル」はほとんど使いものにならない、という危機的状況がうまれている。この目録の前例のない威信の低下であるばかりでなく、信頼できる作品目録の不在という状況に、今私たちは置かれているのだ。モーツァルト研究の進展は著しく、ヴォルフガング・プラート(Wolfgang Plath)やアラン・タイソン(Alan Tyson)、交響曲に関する画期的著作『モーツァルトのシンフォニー・コンテクスト、演奏実践と受容』(1989年)を著したニール・ザスラウ(Neal Zaslaw)を中心とした近年の学問的研究の成果を考慮した新版の登場が待望されている。
なお、ケッヘルの優れた評伝として、横浜国立大学准教授(ヨーロッパ文化史・芸術史)小宮正安著『モーツァルトを「造った男」-ケッヘルと同時代のウィーン』が、2011年3月講談社現代新書として出版されている。
アルフレート・アインシュタイン(Alfred Einstein 1880〜1952)
アメリカに帰化したドイツの音楽学者。多様な音楽史研究で知られ、モーツァルトに関しては、ケッヘルの目録の改訂第3版の校訂者、および評伝『モーツァルト─その人間と作品』(1945年)の著者として名高い。彼はモーツァルトの手稿と版本のあらゆる外形的な点ばかりでなく、作品のひとつひとつの内的な意味と様式を研究したが、音楽全般にわたる該博な知識と作品および作曲家への深い理解によって書かれた彼の著作は、読者を説得して止まない。その文章は「作品」の「解説」に頻繁に引用されるほど重宝され、いわば論評の古典になっている。彼は「仕事は仕事それ自体のうちに、その感謝と報いとを有していた。」と言っている。優れた業績が成されたゆえんである。有名な理論物理学者アルバート・アインシュタインは彼の従弟にあたり、ともに熱心なモーツァルティアンであった。ある時、「あなたにとって、死とは何か」と問われたアルバートは、「死とは、モーツァルトが聴けなくなることだ。」と答えたという。
待望される新目録(磯山雅著『モーツァルト=二つの顔』講談社2000年刊)
現在発行されている第7版は第6版とほぼおなじ内容であるため、根本的改訂をおこなった第8版の出版が鶴首されている。その校訂を引き受けたのはアメリカの音楽学者ニール・ザスラウ(Neal Zaslaw)で、彼は20世紀のうちにどうしても新目録を出版するという決意を述べていた。一日も早く、その新しい目録に接したいものである。新目録で大きく動きそうな作品を若干あげておこう。ト長調のメヌエットK.1は、近年では1764年ごろという説が強まっており、作品の成熟度も、それを裏づけている。したがって新目録では、64年の作品(K.9〜16)のどこかに位置づけられることになるだろう。トルコ行進曲のついたイ長調のピアノ・ソナタは、K.331(300i)から、300番台末、ないし400番台前半に移されるはずである。それは、従来パリで書かれたとされていたこの作品が、1783年(K.416〜447)におけるウィーンの対トルコ戦勝百周年とかかわる作品として、『後宮からの誘拐』(1782年、K.384)の前後にウィーンで成立したとみなされるようになったからである。やはりパリの作とされていたピアノ・ソナタハ長調K.330(300h)、ヘ長調K.332(300k)、変ロ長調K.333(315c)も、その前後に移される可能性が高い。またフルート四重奏曲イ長調K.298も、パリではなく1786年にウィーンで書かれたことがほぼ確証されたため(この年に初演されたパイジェッロのオペラの旋律を引用している)、400番台末か、500番台はじめに移されるはずである。管楽器のためのセレナード《グラン・パルティータ》K.361(370a)は、おそらくミュンヘンではなくウィーンの奏者たちのための作品であり、400番台に移される可能性がある。逆にコントルダンス《意地の悪い娘たち》K.610は、最後の年から1783年へ、すなわち、K.420番台に移されることになろう。未完のまま遺された(したがって*自作品目録に記入されていない)ホルン協奏曲第1番K.412/514=386bは、K.627とでもふりなおされるのではあるまいか。こうした新しい学説に基づく「年代順」目録を手にすることにより、私たちのモーツァルト理解は、また一歩洗練されることになるだろう。
注:モーツァルトがその後期に作成した自作品目録。1784年2月から1791年11月15日の日付までの145曲が作曲年代順に記録されている。写真は目録の最終ページ。『魔笛』『ティート』『クラリネット協奏曲』『フリーメーソン・カンタータ』が並んでいる。


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