2003年6月
2003年6月29日
◆還暦を過ぎ、退職者の会から在職中にお世話になった先輩や同僚の訃報連絡が届く度に、共に働いた頃を思い出し寂しくなります。わけても若い後輩の場合は、悲哀もひとしおです。4月の末に甥が急性骨髄性白血病のため、36歳の若さで亡くなりました。彼はO大医学部を卒業し、3年前に博士号を取得して外科医として将来を嘱望されていただけに、その夭折は惜しまれてあまりあります。甥の死を契機に、朝日選書「ひと、死に出あう」(週間朝日編・朝日新聞社刊)を読みました。67人の著名人が、家族や友人や自分の死を見つめ、想いを語っています。身近にいた人間に対する想いがほとんどですが、その中に作家の早坂暁さんのエッセイ「一度死んだ<{クが送った猫」があり、著者の猫への温かい共感に深い感動を覚えました。死を避けられないものとして自然に受け入れていく猫の姿に威厳さえ感じ、胸が熱くなり、心は安らかさに満たされていたのです。
一度死んだ<{クが送った猫    早坂 暁
 ボクは十八年前、一度すっかり死んだので、その後はずっと没後となっている。正確にいえば、没後ということにしている。
 なんだか大袈裟と思われるかもしれないが、重篤な心筋梗塞と、末期の胆嚢癌と、おまけのように巨大な胃カイヨウが、同時にボクの肉体に出現し、担当の医師は半ばお手あげの状態で、ボクに癌の告知をしてくれた。一応、手術はするが、死を覚悟するようにと、予告してくれたのだ。
 で、たぶん癌と心臓の、むつかしいダブル手術になるので、そのチーム編成に手まどり、実際に手術するまで約一カ月近くの待ち時間となった。
 こんな“待ち時間”は、たまらない。ボクはギリギリと音が出る感じで死と向かい合わされ、死を考え、死を忘れようとし、また、何百字も「死」の字を書いて眺めてみたり、英語やドイツ語でも書いてみたり、かって名のある人たちはどんなふうに死と相渉ったのかと本を集めてみたり、いやいやビバルディの音楽を聞くのが一番だぞと、そうしてみたり、できたら郷里の四国へ足を向けてみようかと、すっかり気の弱った六部(巡礼者)の気分になったり、エーイ、こんなにシンドイ難問に悩まされるのなら、いっそ死んでしまうのが一番の名解答かと思ったり ― 。
 まあ、死についてはウンザリするほど付き合わされた気分になって、大手術後は自分を没後の人間と決めてしまったのだ。
 それで、没後のボクは死については、ほとんど考えることがなくなり、例えば身近な人が死んでも、悲しい気分よりか、「やあ、こちらにいらっしゃったんですね」と思ってしまう、ようにしている。
 しかし、没後のボクにも『死に方』で心ゆさぶられることがあった。
 ボクは東京は渋谷の繁華街、公園通りに住んでおり、そこにはボクの大好きな猫たちが住んでいて、毎夕、挨拶をかわし、可愛い声を聞かせてくれるかわりに、キャットフードをプレゼントする『援助交際』をしているのだが、その数十匹の猫たちをたどると、一匹の、まことに色っぽい牝猫にたどりつくのだ。
 ご先祖さまということで、『アマテラス』という名がついている。
 そのアマテラスが、うずくまったまま、食べることも、水を飲むこともしなくなった。十七歳をこえているから、人間でいえば百歳か。
 彼女がゆるりと体をおこした。よろよろと山手線の線路のほうへ、ゆるい坂道を下っていく。
 ― とうとう死ににゆくのだ。
 ボクはアマテラスの後を追った。何百匹と公園通りの猫たちと付き合ってきたが、一度だって、どこで死ぬのか教えてくれなかった。死にぎわがくると、ふっと姿を消してしまう。
 ビルの谷間や、わずかな空き地をさがしてみるが、一匹の死体も見つけることもできない。アマテラスは、よろめいては立ち止まって休む。無理はない。彼女はここ一週間ぐらい、ろくに食べてないんだ。水も絶った……。
 いってみれば弘法大師空海が死んだときのように、五穀絶ちをしているのだ。空海は死期を悟ると、自らその日を予告して、その日に向かって五穀を絶ち、最後に水を絶って死を迎えたという。
 アマテラスも、水を絶った時点で、はっきりと自分の死を直感し、わずかに最後の旅への体力を残して歩きだしたにちがいない。どこへ行くのか。山手線にぶつかったところで、ゆっくり左折して長い坂を登っていく。おしりから赤い血が流れている。
 ボクは釈尊の最後の旅を想ったりした。八十歳を数えて釈尊は死を予感し、北に向かって旅をする。病は大腸癌だったとか。
 アマテラスも腸に癌があるから、あんなに血をおしりから流しているのだろう。立ち止まり、うずくまる。そして歩きだす。すさまじい意志の力が、ボクに伝わってきて、なんだか泣きそうになってくる。
 「ボクなんかみっともなく、おろおろするばかりだったのに、あんたは本当に立派だなぁ」
 アマテラスは、とうとう坂を登りきった。あとは広い車道を横切れば、明治神宮の森にたどりつくが、車の通行が激しくて、とても渡れない。そこは信号機もないのだ。
 ボクは彼女を抱きあげようと近ずくと、アマテラスはもう車道に足を踏み入れていた。自分の力で、真っすぐ車道を横切ろうというのだ。
 「停まってくれ! ストップ!」
 ボクは車道に飛び出し、疾走してくる車に向かって手をふった。ブレーキの音を鋭くたてて、車が次々に停まった。
 「さあ、渡れ。渡るんだ、アマテラス」
 六十歳の奇妙な男が両手をあげて車を停め、その前を衰えいちじるしい老猫が、ヨロヨロと歩いている。
 非難のクラクションが背後で鳴っているが、知ったことか。アマテラスを抱きかかえて走れば、あっという間に渡り切れるが、彼女が命をしぼるようにして行う最後の儀式に、手をさしのべることは無礼な気がするのだ。とうとう、アマテラスは横断しきった。目の前にあるコンクリートの柵は明治神宮だ。
 「さあ、お入り……」
 アマテラスは自分の体を押しこむようにして、昼なお暗い神宮の森の中に入っていった。
 「そうか、ここが公園通りの猫たちの死に場所なのか」
 思わずボクは森の闇に消えていくアマテラスに合掌して、空海さんの最後の言葉を繰りかえしていた。
 「生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」
 うん、立派だったよ、アマテラス ― 。
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2003年6月23日
◆6月17日午後11時30分頃、三重県津市栗真町屋町1060−1「メランザーナ ISEKI」の建物内で、雄の黒猫(生後4〜5カ月)を保護しました。ピンクのノミ取り首輪を付け、とても人懐こいです。今日飼い主探しのポスターを作成し、市内の動物病院に貼り、ローカル紙に掲載を頼みました。黒ちゃんが一刻も早く飼い主の元に戻ることを祈っています。お心当たりの方は、アニー動物病院(TEL:059−228−3555)まで連絡ください。
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2003年6月22日
◆車を運転していると、道路上で轢かれている猫の姿を時折見かけます。今日の午後郊外を走っていて、猫が倒れているのに出会い、車を止めて確認をしました。生後3カ月くらいの可愛い子猫で、頭部を轢かれ既に息絶えていました。小さな身体を抱いてあげると悲しみがこみ上げて来ました。こんな時のために、車に載せている園芸用のスコップで道路沿いの植え込みの土を堀り、鄭重に埋めてあげました。今度生まれて来るときは優しい人に巡り会い、幸せになるようにと祈りながら…。
可哀相な子猫の冥福を祈り、久しぶりに以前読んだ「猫への詫び状」(香取章子著・新潮社刊)を読みました。猫と深い愛と絆で結ばれた各界の人たちが、どのように猫と出会い、別れを迎えたのか、その惜別の物語です。19の物語から伝わってくるのは、「命」のいとおしさとかけがえのなさです。本書のあとがきで香取さんが述べている、「ひとつの命に対して終生、愛情と責任を持つことが、どれほど人生を豊かにしてくれるか」という言葉を噛みしめながら…。
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2003年6月9日
◆入梅が近いのでしょう、天気予報では明日から週末にかけて雨が続くそうです。わが家の庭では躑躅と紫陽花が満開、今朝から菖蒲も咲き始めました。白の菖蒲は艶やかさと清楚さを兼ね備え、とても風情があります。
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2003年6月1日
◆金井 直(1926〜1997)人間存在への根源的探求と、生や死に対する特殊な存在感覚によって、美しい情緒にいろどられた抒情的傾向の強い作品で知られる現代詩人。詩集に『非望』(1955年)、『飢渇』(1956年)、『愛と死の小曲』(1959年)、『薔薇色の夜の唄』(1969年)など。
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