「オスカー」(デイヴィッド・ドーサ著・栗本さつき訳/早川書房刊)
「工場猫物語」(三島正著/河出書房新社刊)
「図書館ねこデューイ」(ヴィッキー・マイロン著・羽田詩津子訳/早川書房刊)
「ネコナデ」(亀井亭・永森裕二著/竹書房刊)
「パリ・下北沢猫物語」(フジ子・ヘミング著/阪急コミュニケーションズ刊)
「猫のあしあと」(町田康著/講談社刊)
「猫と出会った風景」(渡辺あきお画集/情報通信社刊/情通出版発売)
「笑ったぶんだけ楽しくなれる。」(岡本肇・画と文/小学館刊)
「虹の橋」(湯川れい子訳・半井馨絵/宙出版刊)
「猫おばさんのねがい」(中川智保子著/ハート出版刊)
「吾輩は猫が好き」(野坂昭如著/廣済堂出版刊)
「猫語の教科書」(ポール・ギャリコ著・灰島かり訳/ちくま文庫)
「ぼくはぼくでいい」(落合恵子文・秋元良平写真/文藝春秋社刊)
「85枚の猫」(イーラ著/新潮社刊)
「ポテト・スープが大好きな猫」(T・ファリッシュ作・B・ルート絵/村上春樹訳/講談社刊)
「星を見つけた三匹の猫」(ヨルク・リッター著・鍋谷由有子訳/白水Uブックス)
「眼が見えない猫のきもち」(徳大寺有恒著/平凡社刊)
「猫のしっぽ」(高田宏著/新潮社刊)
「猫物語」(ジェイムズ・ヘリオット著・大熊榮訳/集英社刊)
「鈴の音が聞こえる」(田中貴子著/淡交社刊)
「猫の秘密」(ロベール・ド・ラロシュ著・金子ゆき子訳/KKベストセラーズ刊)
「吾輩は猫である」(夏目漱石著/講談社刊)
「あたしの一生」(ディー・レディー著・江國香織訳/飛鳥新社刊)
「猫のいる日々」(大佛次郎著/徳間文庫)
「ノラや」(内田百闥/中公文庫)
「海ちゃん」(岩合光昭写真・岩合日出子文/新潮文庫)
「100万回生きたねこ」(佐野洋子作・絵/講談社刊)
「猫への詫び状」(香取章子著/新潮社刊)
「晴れ ときどき猫背」(村山由佳著/集英社刊)
「ゴキの墓に」(龍膽寺雄著/昭和書院刊『龍膽寺雄全集』第7巻所収)
「猫たちの9つの感情」(ジェフリー・M.マッソン著・古草秀子訳/河出書房新社刊)
「魔法の国からの使者」(カプッツォー夫妻編著・中村保男訳/飛鳥新社刊)
「わたし、猫語がわかるのよ」(日本ペンクラブ編/光文社刊)
藤田嗣治画文集「猫の本」(講談社刊)
「さよならエルマおばあさん」(大塚敦子=写真・文/小学館刊)
「ジェニイ」(ポール・ギャリコ著・古沢安二郎訳/新潮文庫)
「Dear,こげんた」(mimi著/ハート出版刊)
「猫の話」(猫びより編集部編/日本出版社刊)
「心に残る7匹の猫」(ジョー・クーデア著・羽田詩津子訳/早川書房刊)
「キャット・ギャラリー/猫の贈りもの」(深大寺かおる・文/小学館刊)
「黄昏の猫たち」(サマンサ・ムーニー著・宮下嶺夫訳/めるくまーる刊)
「猫に名前はいらない」(アンドリュー・N.ウィルソン著・小竹由美子訳/白水社刊)
「猫j辞苑」(えびなみつる・画と文/詳伝社刊)
「猫にかまけて」(町田康著/講談社刊)
「熊谷守一の猫」(熊谷守一著/求龍堂刊)
「吾輩も猫である」(森本哲郎著/清流出版刊)
武田花写真集「猫・陽のあたる場所」(武田花・写真と文/現代書館刊)
「猫」(大佛次郎/谷崎潤一郎/寺田寅彦/柳田國男他著/中央公論新社刊)
「ニッポンの猫」「地中海の猫」(岩合光昭・写真と文/新潮社刊)

「オスカー」(デイヴィッド・ドーサ著・栗本さつき訳/早川書房刊)
「あらゆるかたちの認知症患者さんのご家族と介護をなさる方々に。」…本書「オスカー」は、なんと人の死を予知する猫と、一緒に回診する医師と患者たちの人生を温かく描くノンフィクションです。
2005年、アメリカのロードアイランド州プロヴィデンスにあるロードアイランド病院付属のナーシングホーム「ステアー・ハウス」の重度認知症病棟(日本の特別養護老人ホームにあたる)にもらわれてきた2歳のオス猫は「オスカー」と名づけられ、患者たちに可愛がられていました。オスカーは毎日、各病室の様子を覗いて回るという風変わりな習慣がありましたが、患者のベッドに上がることはめったになかったそうです。そんなオスカーを可愛がっていた患者のひとりの容態が急変し、直ちに家族に知らされました。患者の意識は回復せず、家族が看取るなかで患者は息をひきとりました。患者が亡くなる数時間前、家族は不思議な光景を目にしていました。めったにベッドに上らないオスカーが、この時だけベッドに上り患者に寄り添っていたのです。このような現象は一度や二度ではなく、ナースたちは、オスカーが患者の死期を予知できるのではないかと噂をするようになりました。本書の著者であり、ナーシングホームに勤務する医師、デイヴィッド・ドーサによると、オスカーは現在までに25のケースで死期を予告し、ほとんど間違うことなく人の死ぬ時期がわかるようだと話しています。この事実は世界的に権威のあるイギリスの医学誌「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」(2007年7月26日号)に掲載され、世界中のマスコミでも報道されて大反響を呼んでいます。
この診療科では、オスカーが訪問する患者は重病か昏睡状態の人が多く、患者自身はオスカーの存在に気がつかない人が多く、オスカーの行動が自分の死期を予告すると知らないそうです。
センターは、オスカーがベッドに上ったところで患者家族に連絡し、家族は早めに集まって臨終を看取ることが出来るようになりました。オスカーの死期予告行動は患者たちに恐れられるどころか大いに感謝されるようになり、旅立とうとしている患者のかたわらで寝ずの番を務めるオスカーは、「家族に見守られながらの理想的な最後を提供する心優しい猫」としてその功績が認められ、ホスピス財団から表彰されています。
ステアー・ハウスには猫だけでなく、ほかの動物も飼われていて、動物たちの存在がステアー・ハウスの入居者や家族にとって大きな慰めとなっています。また、施設のスタッフたちも、オスカーたちから数々の恩恵を受けています。
訳者あとがきから心に残る一文を引用します。「患者さんがひとりいれば、そこには治療にあたる医師がいる。看護にあたる看護師もいれば、介護の職員、食事や清掃のスタッフもいる。ときには患者さんやその家族と衝突することもあるし、理不尽な怒りを向けられることもある。気苦労は絶えないが、それでもそれぞれが、それぞれの立場で、誠意を尽くして仕事をしている。そして患者さんにもまた、それぞれにに人生の歴史があり、家族の愛情がある。そうした人間の関わりのなかに、猫という小さいけれどあたたかい存在がある。」
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「工場猫物語」(三島正著/河出書房新社刊)
京浜工業地帯の中核をなす神奈川県川崎市の臨港地区は、海を埋め立てて造られたいくつもの人工島に、石油化学コンビナートや製鉄所、火力発電所などの巨大な工場が立ち並んでいます。その人工島には約100匹の野良猫たち(工場猫)が暮らしています。宮城さん夫妻は人工島で暮らす猫たちの命を支え、「地域猫」としての共存を目指す活動を続けています。野良猫と言っても、もともとは捨て猫か捨て猫の子孫たち、人間の身勝手さが不幸な猫を増やしているのです。本書は「これ以上、不幸な猫を増やさないために」との想いのもと、奮闘する宮城さん夫妻と猫たちの、心あたたまる物語を写真家の三島正氏が綴ったレポートです。人工島とそこに暮らす猫たちの写真からは、過酷な環境に耐えながら健気に生きる可愛い猫たちの命の叫びが伝わってきます。人工島の一角にある公園を拠点に、早朝の餌やりと清掃、病気になった猫たちを動物病院に連れて行っての治療、定期的に猫たちを捕獲して不妊・去勢手術を行い、「飼い猫」に適した猫がいれば里親を探す、など宮城さん夫妻の苦労は絶えません。
「工場猫は人間社会に生きている。彼らの日常と向かい合うことは、人間社会の断片を見つめる行為でもある。私は、工場猫を通して浮かび上がる日本の姿を見たいと思い、2007年の秋から人工島に通いはじめた」と三島氏は述べています。
本書は挫折しそうになりながら日々困難と闘い、不幸な動物をなくするために頑張っている心優しい人々に大きな勇気を与えてくれます。
宮城さん夫妻のホームページ「アニマルフレンドシップ」
http://www.animalfriendship.jp/
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「図書館ねこデューイ」(ヴィッキー・マイロン著・羽田詩津子訳/早川書房刊)
全米で30以上の図書館に常駐しているLibrary Cat(図書館猫)と呼ばれる猫たち。当初は書籍をネズミから守るために住まわせていたと言われ、その関わりは数世紀前から続いているそうです。もっとも現代の図書館猫たちは、ネズミ捕りのために雇われているわけではなく、アイドルとしてマーケティングや広報など幅広く任務をこなしています。アイオワ州・スペンサー公立図書館のデューイと名付けられた猫は、自身のポストカードで1カ月に100ドルを稼ぐ敏腕図書館猫です。
1988年1月、アイオワ州の田舎町スペンサーの朝は、その冬一番の冷えこみになりました。スペンサー公立図書館の館長ヴィッキー・マイロンは、いつものように朝7時半に出勤し、返却ボックスを開けました。すると、本の山のあいだに子猫がうずくまっていたのです。両手にすっぽりとおさまるぐらいの小さな猫は、寒さにガタガタ震え、鳴き声もあげられないほどに弱っていました。それがヴィッキーと、やがてスペンサーの町の住民たちにも特別の猫となるデューイとの出会いでした。それから18歳で亡くなるまで、デューイは図書館猫として人々をなごませ、笑わせ、元気づけ、みんなに愛されました。本書の魅力でもあり、そしてなにより感動的なのは、ヴィッキーが逆境にもめげず、不屈の闘志と勇気を失うことなく、人生を前向きに生き続けたことです。そしてさまざまな不幸に見舞われるたびに、デューイはヴィッキーの心の支えになりました。
「ときどき天井がわたしの上に落ちてくる気がして、眼に涙をためてぼんやりとひざをみつめていると、デューイがひざにのってきた。彼はまさに、わたしが必要としている場所にいてくれたのだ」
「何であろうとわたしがほしいものを、彼は躊躇せず、お返しも期待せず、質問もせずに与えてくれた。それはただの愛ではなかった。それ以上のもの。尊敬だった。共感だった。しかも、それは双方向のものだった」
たとえ相手が一匹の猫でも、ときにはこれほど深い絆を築くことができ、パートナーとしてお互いに愛情と尊敬を与えあい、支えあうことができるのです。
「つらい日も、楽しい日も、人生という本物の本のページを埋める記憶にすら残らない日も、デューイはわたしを抱きしめてくれていたのだ」
なお、「猫びより」(日本出版社刊2003年冬号)の記事「図書館員は猫」によると、2002年6月現在、世界の図書館猫の総数は159匹。その多くがアメリカ(136匹)で、残念ながら日本を含むアジアにはいないそうです。猫にとって、図書館ほど静穏と冒険の混在した快適な空間はありません。そして利用する人々にとっても、猫ほど心を落ち着かせて読書の世界(もしくは安眠の世界?)へと誘ってくれる存在はないでしょう。いつの日か、日本の図書館でも猫が当然のように机の上で寝転ぶ光景をみたいものです。
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「ネコナデ」(亀井亭・永森裕二著/竹書房刊)
映画「ネコナデ」(大森美香・監督/大杉漣・主演/AMGエンタテインメント・2008年製作)が小説化されました。
一流企業の人事部長、鬼塚汰朗は典型的な中年企業戦士。冷酷な社長の命で、倒産寸前の会社を立て直すため、社員のリストラを遂行する辛い役務を担っています。職場にあっても、家庭にあっても厳しく自分自身を律し、社員はもちろんのこと、家族に対してさえ甘えを許さず、冷徹な鬼部長と恐れられています。人生に癒しや安らぎなど必要ないと考えてきた鬼塚は、ある晩立ち寄った公園で、捨てられた子猫に出会います。あどけない瞳で鬼塚を見つめる子猫…。気がつくと鬼塚は子猫を抱いて自宅の前に立ちつくしていました。ペットなどもってのほかと考えていた鬼塚の人生が、一匹の子猫と出会ったことで変わり始めます。リストラもペットを捨てることも、不用になったものは容赦なく切り捨てる、捨てられたものの痛みや悲しみには無頓着という点で共通しています。癒しとは何か、生きるとは何か…心揺さぶられる感動の猫と中年サラリーマンの物語です。
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「パリ・下北沢猫物語」(フジ子・ヘミング著/阪急コミュニケーションズ刊)
瀟洒でハンディーな本書は、パリ、下北沢でフジ子・ヘミングと暮らす猫たち総勢25匹のショットを満載した自伝的エッセイ。不世出のピアニスト、フジ子・ヘミングの苦難の人生を支えた猫たちとの心温まる物語です。
「豪華な洋服を着て着飾って外へ遊びに行くよりも、うちでひとりで猫の行動を見ているほうが楽しい。理屈ぬきに可愛い。私が今ピアニストとして心穏やかにいられるのは本当に猫のおかげだと思う」と語るフジ子・ヘミングにとって、猫はペットではなく人生をともに生きる伴侶です。「猫と音楽は私にとって人生そのもの。猫がいることで、どんなに辛く悲しいときも、勇気づけられたし、耳が聞こえなくなって、どん底に突き落とされたときも、決してピアノを弾くことをあきらめなかった。だから、今の私がいるの。ありがとう、私の愛する猫たち。」という言葉に、猫に寄せる愛情の深さがこめられています。それはまた、次のような言葉となって、読者の心に強く訴えかけてきます。
「どんなに小さな命でも神様からいただいたものだから、慈しんであげないと。それは、動物でも植物でも同じこと。心を寄せると気持ちは通じるから、そこからどれだけ励まされ、教えられるかしれないわ。私の命も自分だけのものではなくて、弱いものに目を向け、助けるためにこの世に遣わされているのだから、それを行動に移さなくてはだめよね。…身近にいる犬や猫にやさしく手を差し伸べてやってほしいの。少なくとも動物を飼う以上は、最後まで責任をもってほしい。」
数多いCDから、フジ子・ヘミングが描いた絵「ノクターン」がジャケットの表紙を飾る「フジ子・ヘミングこころの軌跡」(ビクターエンタテインメント)は、リスト、ショパンの作品を中心に収録した格好のアルバム。猫とエンジェルが耳をかたむけて聞いています。
母と二人だけのつつましい暮らしの少女の家にはピアノはありませんでした。昭和30年代、少し豊かな家々にはピアノが備えられはじめた時代でした。少女にとって唯一さわることのできるピアノは、音楽の教科書のいちばん後ろについている紙の鍵盤でした。少女はその紙の鍵盤でピアノをひく練習をはじめました…。
松永順平の原作、フジ子・ヘミング画の童話「紙のピアノの物語」(講談社刊)は、懐かしい時代の温かくどこか哀しい物語です。
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「猫のあしあと」(町田康著/講談社刊)
悲惨な状態で保護され、著者の必死の看護も虚しく14カ月で亡くなったヘッケについては前作「猫にかまけて」に詳しいですが、本作「猫のあしあと」はその続編。ヘッケに寄せる思いから、愛護団体から預かった(譲り受けた)五頭の猫たちとの交流が、時にユーモアを混えながら読者を飽きさせない軽妙な筆致で描かれています。また著者とともに13年を暮らした愛猫ゲンゾーのあまりにも唐突な死に、著者ならずとも悲しみの深さに胸が痛みます。ゲンゾーの死因については著者から読者への次のようなメッセージがあります。
「もしこれを読んでいる人で動物と一緒に暮らしている人があったら、私のことを他山の石として、ワクチンといえども必ずしも危険がない訳ではなく、もし医師が触診をしたり体温を計ったりしないままワクチンを打とうとしたら、必ず、体温を計ってください。触診をしてください。と言ってください。また、私は無知ゆえゲンゾーを死なせてしまったが、そんなことにならないように、おかしいと思ったら複数の医師の意見を聞いてください。」
本作には保健所などの行政に安易にペットを持ち込む飼い主の身勝手さや、保護ボランティアの大変な苦労など、愛玩動物を取り巻く日本の現状にも触れながら、動物を飼うということが如何に重い責任を伴う行為であるかが述べられています。著者の「あとがき」に次のような感銘深い一節があります。
「犬や猫やその他の動物を飼うのが流行のようになっている。動物によって癒される、という人が多い。それは確かにそうなのかも知れないが、彼らの命を預かるからには、弱くて小さな生き物から何かを得ようとする前に、我々よりはるかに寿命が短い彼らが、幸福で健康な生涯をまっとうするために我々がなにをできるかをまず考えるべきであると思う。私はゲンゾーについてそれができなかった。
猫に限らず、自分のものと思っている多くのもの、気力や体力やその他のものも実は預かりものなのかも知れない。他から預かったものを粗略に扱ってはならない。傷つけてはならない。預かったときと同じ状態で、或いは利子をつけて返さなければならない。」
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「猫と出会った風景」(渡辺あきお画集/情報通信社刊/情通出版発売)
虫プロダクションでアニメの製作に携わったこともあり、絵本や童話などで心あたたまる作品を数多く発表してきた著者が、散歩の途中で出会った猫たちを表情豊かに描いた画集。美しい風景の中にぽつんと描かれた小さな可愛らしい猫たちを見ていると、心が優しさで満たされます。耳をすませば猫たちのおしゃべりが聞こえてきそうです。
いつの間にかしーんとした秋の気配があたりをつつんでいます。
星空の夜、どこからともなくやってきてはおしゃべりをする猫たち_。
「また会えるよね。」(画:星空の散歩)
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「笑ったぶんだけ楽しくなれる。」(岡本肇・画と文/小学館刊)
猫のキャラクター「kabamaru」カレンダーが毎年大人気のイラストレーター、岡本肇著「笑ったぶんだけ楽しくなれる。」は、素敵な猫イラスト満載の遊び心に溢れた画文集です。8匹のキャラクターたちの勝手気ままな暮らしぶりが、ストレス社会の真っ只中で毎日あくせく生きている私たちを、幸せ一杯な気分にしてくれます。いつも自然体の猫たちの生活は、せかせかした人間世界とは無縁のもの。ゆったりとした時間が流れます。
近ごろ、「ニート」や「いじめ」、「過労死」などさまざまな社会問題が人々の心を暗くしています。毎日時間に追われる忙しさのなかで、ふと立ち止まって本書のキャラクターたちの言葉に耳を傾け一緒に遊べば、生きるのがずっと楽になるでしょう。「日々楽し自由気ままの風まかせ。」「寝て食ってなべて世の中こともなし。」
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「虹の橋」(湯川れい子訳・半井馨絵/宙出版刊)
インターネットで伝承されている作者不詳の英語詩「虹の橋」が素敵な絵本になりました。訳者は音楽評論家として活躍する一方で、環境問題を考えグローバルに行動する自身の「レインボウ・ネットワーク」を組織し、ボランティア活動に精力的に取り組まれている湯川れい子さん。イラストレーターの半井馨さんが描く動物たちの表情が、とても可愛くて豊かです。
巻末には本書を企画されたおかのきんやさんの奥様、風野楓(かえで)さんが作られた愛猫に寄せる追悼詩「水源のある村」と「T駅を降りて」の二編が収められ、深く静かな悲しみを湛えています。ペットロスに悲しむ多くの人たちに、本書は癒しと優しさを与えてくれることでしょう。
湯川さんがあとがきに書かれた言葉のように、平成16年8月に7歳1カ月で旅立ったわが家の愛猫、ふうの冥福を祈りながら、いつかきっと会えると信じて本書を読んでいます。
「もし自分も、此の世に生まれてきたことを感謝しながら、精一杯に人を愛し、仲間を愛し、弱い命を愛して、誠実に正直に生きることが出来たなら、いつかあの私が愛した可愛い仲間たち、ユーマやジャッケルやパフやプリンス、私の大切な人生のパートナーだった犬や猫たちと、再び会うことが出来るのだと思います。」(湯川れい子さんのあとがき「虹は天国に渡る橋」より)
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「猫おばさんのねがい」(中川智保子著/ハート出版刊)
「本書を、全国にいる猫おばさんに捧げます。猫おねえさん、猫好きの子供たちに託します。そして、かわいそうな猫が一匹でも減ることを願います。」
本書カバーの折り返しに書かれた著者の願いです。
本書は、十年間「猫おばさん」として、野良猫たちに餌を与え続けてきた著者の立場から見てきた野良猫の世界を、物語風に綴ったエッセイ集です。野良猫のボス、さんちゃん(三本足の三吉)との会話を通して、苛酷な環境のなかで潔く健気に生きている野良猫たちの生活が、美しい信州の情景描写や創作民話も混じえながら描かれています。無理解な人々の中傷や嫌がらせの数々、ストーカーの恐怖にも負けずに今夜も餌やりに通うおばさん。猫たちに襲いかかる伝染病や虐待、猫さらい、餌を与える側にも迫る様々な迫害など、辛さと悲しみの連続。著者自身心の葛藤に苦しみながら、ペットブームの陰で人間の身勝手さから遺棄され見捨てられた、かわいそうな野良猫たちを助けたい…そんな著者の願いが熱く伝わってきます。子供から大人まで一人でも多くの人が本書を読まれ、一生懸命に生きている野良猫たちに温かい救いの手を差し伸べてくださるよう願っています。
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「吾輩は猫が好き」(野坂昭如著/廣済堂出版刊)
「火垂るの墓」で直木賞を受賞した作家、野坂昭如著「吾輩は猫が好き」(廣済堂出版刊)は猫に関する随筆をまとめた野坂さん最初の著作。一時は20匹もの猫を飼っていたほど大の猫好きの野坂さん。本書は「ねこ倶楽部」に好評連載されたエッセイをまとめたものです。
「動物と人間の死」「猫に教わること」など随所に考えさせられる内容が書かれ、ある時は真摯に、ある時はユーモラスに語られて行きます。次のような文章は、死とどう向き合うかについて、不安におののく現代の私たちに深い示唆を与えてくれると思います。
『動物を身近にしていると、死はまことに自然、ことさら悟らなくても、「帰するが如きもの」と、少し判る。幼いうちに、かわいがっていた動物の生と死に立ち合えば、百、千のハウツゥデス本を読むより、素直に、死を考える下地が培われる。』
『人間と動物の違いは、人間が言葉や道具を持つ、意味のない殺し合いをするというようなことより、さらに、「死」との付き合い方にあるような気がする。』
本書には野坂さんが描かれた20数枚の猫イラストも掲載されていて、これがまた玄人はだしの独特の彩りを添えています。著者と愛猫との頬笑ましく愉快なエッセイ集です。
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「猫語の教科書」(ポール・ギャリコ著・灰島かり訳/ちくま文庫)
「快適な生活を確保するために、人間をどうしつけるか─」交通事故で母を亡くし、生後6週間にして広い世の中に放り出された子猫が、1週間ほどの野外生活を経て、人間の家の乗っ取りを決意します。いかにして居心地のいい家に入りこむか、飼い主を思いのままにしつけるか、その豊かな経験を生かして猫が執筆したというユニークな体裁をとっているのが、本書「猫語の教科書」です。猫語で書かれた原稿を解読し、人間の言葉に翻訳したのが著者ポール・ギャリコというわけです。ポール・ギャリコは無類の猫好きとして知られ、猫を主人公とした小説『ジェニイ』『タマシーナ』は世界中の猫好きから愛されています。モデルとして素晴らしい写真を添えてくれるのは、写真家レイ・ショア夫妻の愛猫ツィツァ。サブタイトルに「子猫、のら猫、捨て猫たちに覚えてほしいこと─」とありますが、本書は飼い主がペットと仲良く暮らすためのコツを教えてくれます。そして誰かと仲良く暮らすということこそ、人間と動物が、いや人間どうしでも、いつも探し求めている理想ではないでしょうか。
「私にいえるのは、人の心に愛があると、その人の腕に抱かれたり、ひざの上でやさしくなでられたりしたとき、その愛があなたに向かって流れてきて、あなたはそれをただ感じるということ。人の心に愛がなければ、あなたは何も感じない。たとえどんなに機嫌をとってくれようと、どんなにじょうずになでてくれようと、愛は感じられないのです。」
(第14章『愛について』より)
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「ぼくはぼくでいい」(落合恵子文・秋元良平写真/文藝春秋社刊)
あたたかい眼差しで盲導犬クイールを撮りつづけた秋元良平さんが撮影したたまらなく可愛い子猫「けむり」に、作家落合恵子さんが素敵なストーリーをつけたハンデイで瀟洒な写真文集。小さくたって弱くたってぼくはぼく。「世界にぼくはぼくしかいない。それってすごいことじゃあないか!」生きてゆくことに辛さを感じている人々に贈る励ましの言葉に癒され勇気づけられます。「この本を手にした、あなたへ」と題した落合さんのあとがきが胸に迫ります。
『それぞれのわたしが「自分であること」を丸ごと受け入れ、肯定することができたとき、声の小さい側を排除したり、「いじめ」のようなものはなくなっていくだろう。そんな思いもこめて、この文章を書いた。自分への否定が他者への否定につながることは少なくない。
同時に気になるのは、この「ペットブーム」のもとで、遺棄され、「処分」されていく夥しい数の動物たちがいることだ。それを思うと、心が晴れることはない。この本を手にとられたあなたにも、そのことを考えていただけたらとてもうれしい。』
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「85枚の猫」(イーラ著/新潮社刊)
書店の本棚から何気なく手に取って、パラパラとページをめくるうち、その魅力にすっかり捉われてしまったのが、伝説の女性写真家イーラの猫写真集「85枚の猫」です。こんなに生き生きと表情豊かに撮られた猫の写真は他に無いと言っても過言ではありません。
イーラは本名をカミーラ・コフラーといい、1911年ウィーンで生まれ、1940年アメリカに移住し、ニューヨークにスタジオを開いて1954年まで十数冊の写真集を刊行しました。本書『85 CHATS』は1952年にアメリカ、スイスなど5ケ国で刊行された、猫写真の古典的名作です。動物を深く愛し、冒険心に富んだイーラは1955年3月30日、インドで牛車レースを撮影中、乗っていたジープから落ちて頭を強打し、惜しくも44歳の若さで亡くなりましたが、動物写真家としての人気は根強く、今も彼女の写真集は世界中で刊行され続けています。写真家岩合光昭氏が中学生の頃本書に出会い、猫写真に魅了され、本書を手本として研究したことが前書きに述べられています。猫の可愛さが芸術的完成度の高さで表現されていて見事と言うほかありません。
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「ポテト・スープが大好きな猫」(T・ファリッシュ作・B・ルート絵/村上春樹訳/講談社刊)
村上春樹氏がある日アメリカの街を散歩していて、書店のウィンドウに飾ってあるのを偶然見つけ翻訳した絵本。作者のテリー・ファリッシュはニューハンプシャーのポーツマスに住むヤングアダルト小説の作家。絵本イラストレーターのバリー・ルートが素敵なイラストを添えています。ゆったり、まったりと時間は流れ、おじいさんと猫はテキサスの田舎で、温かいポテト・スープを食べながら、のんびりと肩を寄せ合って暮しています。年を取った雌猫のキャラクターがとりわけ魅力的で、少し気難しくて気位が高いけど、感情が細やかで、とても心優しいのです。そんな気持ちの通い合った猫と、豊かな自然に囲まれて晩年を送れたなら、どんなにか素晴らしいことでしょう。村上氏の「あとがき」から、デジタル万能時代への風刺とも受け取れる愉快な一節を紹介します。
『おじいさんのうちの電話はまだダイヤル式なんですね。ちゃんと通じるのかな。おじいさんはきっとインターネットなんて、「ふん」とか思って、やらないんでしょうね。』
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「星を見つけた三匹の猫」(ヨルク・リッター著・鍋谷由有子訳/白水Uブックス)
太古の昔から、人々は夜空に煌く無数の星々に夢を托し、数多くの物語を創造してきました。ヨルク・リッター著「星を見つけた三匹の猫」(原題は「猫の星」)は、愛すべき主人公、片目のフレデリック、尻尾の先がないカストロ、肩を痛めたリンゴの、港町に住む三匹の猫たちが、つぎつぎとふりかかる苦難と試練を経ながら、たくましく成長していく姿を描く素敵なビルドゥングス・ロマンです。
三匹の猫たちはあるとき、三匹とも同じ夢を見ます。はるかかなたの塔に住む美しい銀色猫の夢を。そして大熊座のうなじのあたりに、かすかな光を放ちながら自分たちを見守っているかのように瞬く小さな星の存在に気づきます。その星(ちび星)と銀色猫は、彼らが途方に暮れたり困難に遭ったとき、彼らに何かを語りかけ励ましてくれるように感じます。
長い試練の末に、猫たちは片目がないことも、尻尾の先がないことも、肩を痛めていることも、決して埋めなくてはならない不完全なことではなく、それぞれがそれぞれであるための個性なのだと気づきます。本当に大切なことは何なのかを学んで行ったのです。
この物語では、銀色猫のエンリルと雪フクロウのメスランテアという魅力溢れるキャラクターが登場し、天空をさまようちび星の物語が幻想的に語られます。
物語で重要な役割を担う「グランド・サークル」は、「生命のサークル(円)」を象徴しているようで、仏教思想の輪廻の影響が感じられ、意味深いものがあります。
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「眼が見えない猫のきもち」(徳大寺有恒著/平凡社刊)
「間違いだらけのクルマ選び」の著者、モータージャーナリストの徳大寺有恒が、偶然飼うことになった盲目でエイズの猫チャオとの暮らしを綴るキャットエレジー。「捨て猫のチャオがひろわれ、たまたまわたしと暮すようになった。そこで、わたしとチャオとの平和な日々が生まれた。この偶然の出会いが、人生という物語をつくるのだ。」
チャオとのコミュニケーションから、優しさと涙の味がする愛と絆のファンタジーが生まれ、老いの不安を抱える徳大寺さんに生きていることの喜びをもたらします。「諸行無常」の一節は混迷の現代を生きる私たちのこころに、ひとすじの明かりをもたらしてくれる思いがします。
「チャオは、いまだに眼が見えない。チャオの眼ひとつ、わたしは治してやることができない。チャオは、まだ闇の中を生きている。そうだ。オレの眼をやろう。眼が見えるうち、チャオに移植してやろう。眼が見えるようになったら、チャオはどれほど驚くだろう。この世に満ちている光を得て、チャオは至福を感じるにちがいない。…だが、ほんとうにそうか。そうじゃない。この世は虚妄だ。目開きの欲望が生む、魑魅魍魎が跋扈する世界だ。憎しみが蔓延し、いたるところで戦争の止むことがない。人は眼が見えるからこそ、間違いを起こす。シェイクスピアの言うとおりじゃないか。そんな世界を見たらチャオは悲しむにちがいない。チャオごめんよ。父さんはまだ、煩悩を棄て切れてないみたいだ。チャオは眼が見えないからこそ天使なんだということを、ちっともわかっちゃいない。チャオは世界をこころで感じている。だからチャオの闇は光そのものだ。光の中を生きていると錯覚してる父さんこそ、ほんとうは闇の中を生きているんだ。父さんは、もっと光をといって、おまえに助けを求めているだけの、甘ったれだ。許しておくれよ、チャオ!」
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「猫のしっぽ」(高田宏著/新潮社刊)
高田宏著「猫のしっぽ」(新潮社刊)は猫好きにはたまらないエッセー集。20年以上にわたり、自宅に住み着いた猫たちを優しく見守ってきた著者が、猫たちとの生活を深い愛情と鋭い視点で描いた好エッセーです。猫と暮らす喜び、そして猫を亡くす悲しみ……。猫たちと日々を共にすることで、人間の営為の外側にある動物や植物や、山や海や川などの豊かな自然に目を開き、人間が作った「文明社会」に疑問を投げかけます。猫たちへの優しい思いは読む者の心を温かく包み、かけがえのない「いのち」について考えさせてくれます。
各話に挿入されている43枚のイラストは、息子さんの高田雄太氏が描いたもので、これがまた可愛いくて素敵なのです。楽しく感動的な猫本です。
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「猫物語」(ジェイムズ・ヘリオット著・大熊榮訳/集英社刊)
イギリスの名獣医、ジェイムズ・ヘリオット(1916〜1995)は数多くの心温まる動物物語の作家として世界的に有名ですが、1994年生前最後に刊行された「猫物語」は、ヘリオット先生が生涯に亘って書いた作品の中から、猫に関するエピソードを選りすぐったスペシャル版です。終生、生きものたちを慈しみ続けた著者の遺作にふさわしい、愛の贈り物です。
心温まる10の短編は純文学としても優れていて、最後はクリスマスの物語で終わりますが、そこには、いつも浮き浮きしながらクリスマスを待っていたヘリオット先生の姿が偲ばれるようで、頬笑ましくなります。最後のアンソロジーをクリスマスの物語で締めくくったという事実には、死期を迎えつつあったヘリオット先生の死後への希望と、人間と動物たちへの限りない愛情が込められているに違いありません。膨大な猫本の中でも、感動的な猫物語の古典として、本書は永遠にその価値を失わないでしょう。私の愛読書の一冊としていつも座右に置いています。(集英社1995年刊)
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「鈴の音が聞こえる」(田中貴子著/淡交社刊)
無類の猫好きとして有名な国文学者で、京都精華大学助教授の田中貴子さんが書いた猫本「鈴の音が聞こえる」(淡交社刊)を読みました。
副題に「猫の古典文学誌」とあるように、「今昔物語集」「古今著聞集」「源氏物語」「更級日記」「名月記」「「徒然草」「枕草子」を始め、中国宋代の漢詩から、「無門関」と言った禅書、金沢文庫の蔵書、猫を季語にした俳句、江戸初期の「猫のさうし」に到るまで、ありとあらゆる文献を渉猟して猫にまつわる説話を紹介しています。また、「信貴山縁起絵巻」「鳥獣人物戯画」「石山寺縁起」などの絵巻に描かれた猫や、月岡芳年、土佐光起、歌川国芳、円山応挙などの画家が描いた猫が紹介されています。また最古の招き猫として知られる「檀王法林寺」の招き猫も紹介されています。猫好きにとって、大昔からの人と猫の結びつきを知ることが出来、興味が尽きない読み物です。
カバーの絵 歌川国芳画「鼠よけの猫」部分(東京博物館蔵)

       うらやまし思ひきるとき猫の恋 (越人)
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「猫の秘密」(ロベール・ド・ラロシュ著・金子ゆき子訳/KKベストセラーズ刊)
愛猫との対話(Q&A)によって、猫の知られざる秘密が明らかになるというユニークな着想で、さりげなく猫を科学する「猫の秘密」(KKベストセラーズ刊)は楽しく愉快な猫本です。著者のロベール・ド・ラロシュはフランスのジャーナリスト。無類の映画愛好家、音楽愛好家です。今フランスで人気のDJでもあり、猫に関する著作も多く、キャット・クラブ賞、フェルナン・メリー動物書賞を受賞している熱烈な愛猫家です。
本書の魅力は、機知に富んだ愛嬌たっぷりのキャラクターの愛猫「トト」にあります。時には皮肉たっぷりに、時にはほのぼのと猫の心理を打ち明けてくれますので、いつの間にか、たとえ愛猫家でなくても、「猫を飼ってみたい」という気持になってしまうかもしれません。「猫の喉がゴロゴロ鳴る理由は?」「撫でてほしいときのしぐさとは?」「どんなタイプの飼い主が好かれるの?」「猫のIQは?」「猫を過保護に育てるとどうなるの?」などなど、最新の研究成果をふまえながら、まるで小説のように面白おかしく猫の秘密に迫ります。猫と幸せに暮らすために、とても参考になる猫本です。
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「吾輩は猫である」(夏目漱石著/講談社刊)
猫が語り手となって人間社会の様を考察するという奇抜なアイディアから生まれた夏目漱石著「吾輩は猫である」は、近代日本文学を代表する、あまりにも有名な名作です。まだ読んでいなかったので、1995年講談社刊の「ポケット日本文学館」のシリーズで読みました。赤坂三好氏描く楽しい挿し絵と、小田切進氏の脚注によって、親しみ深く読み易くなっています。他に類例を見ない個性的な作品であり、漱石の目を通して世相や人情など多彩な話題をユーモラスに、時にはシニカルに描いています。見事な語り口に時間の経つのも忘れ、読みふけってしまいました。右は1905〜1907年、大倉書店・服部書店刊の初版本(上・中・下)です。
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「あたしの一生」(ディー・レディー著・江國香織訳/飛鳥新社刊)
ミネソタ州スティルォーターに住むジャ−ナリスト、作家のディー・レディー著「あたしの一生(猫のダルシーの物語)」〔飛鳥新社刊〕は、著者と愛猫ダルシーとのストレートで濃密な愛の物語。猫の一人称で語られる物語は数多くありますが、猫の目を通して人間社会を描いたり、批評しょうとするものがほとんどです。この作品では、猫のダルシーの目は素直に周囲に注がれ、飼い主ディー・レディーとの直截で素直なふれあいのなかに、濃密な愛が表現されていて感動的な物語となっています。以下は訳者江國香織さんの「あとがき」からの引用です。「ここには様々な感情─嫉妬や怒り─、生きるためにうけいれなければならないたくさんのこと─事故、孤独、老い、病気─も、はっきりと書きつけられています。一匹のけものとして生涯をまっとうすることは、なんてきびしいことでしょう。自分の頭と体と心だけを使って生きているダルシーの、ひるむほど真摯な愛の物語です。」
猫と暮らすことの喜びと別れの悲しみ、日々の生活からあたえられる慰めと安らぎに心うたれる素敵な猫物語です。
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「猫のいる日々」(大佛次郎著/徳間文庫)
「私の趣味は本とネコ」と言い、「ネコは生涯の伴侶」とも語り、最後には「次の世には私は猫に生まれて来るだろう」とまで語り、常時15匹の猫と暮らし続けた愛猫家、大佛次郎は60編にのぼる猫の随筆を書きました。随筆集「猫のいる日々」(徳間文庫)は、猫に関する随筆、小説、童話を集大成したものです。いつもこの本を座右に置いていると、心が慰められ哀しみも苦しみも忘れるのです。少し長いのですが、冒頭の「黙っている猫」から引用します。「猫は、ものごころのつく頃から僕の傍にいた。これから先もそうだろう。僕が死ぬ時も、この可憐な動物は僕の傍にいるに違いない。─お医者さんが来る。家族や親類の者が集まる。(最後には坊さんも来るわけだが)その時此奴は、どうも、いつも見なれない人間が出入りして家の中がうるさくて迷惑だと云うように、どこか静かな隅か、日当たりのよい所に避け、毛をふかふかと、まるくなって一日寝ているだろう。…(中略)…それは僕には、目が見えなくなっていても、卓の陰に白いバッタのように蹲ったり、散らばった本の中を埃をいとって神経質に歩いている此の気取り屋の動物の静かな姿や美しい動作を思い浮べていることが、どんなに心に楽しくて、臨終の不幸な魂を安めることかわからないからだ。─来世というものがあるかどうか、僕未だにこれを知らない。仮にもそれがあるならば、そこにも此の地球のように猫がいてくれなくては困ると思うのである。」
巻末に載せられている童話「スイッチョねこ」は、猫との暮らしの中から自然に心に浮かんだ珠玉のような小品で、著者自ら「一代の傑作」と言った作品です。
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「ノラや」(内田百闥/中公文庫)
愛猫が失踪した時の耐え難い心痛は、ペット失踪の経験をした人でなければ分からないでしょう。ユーモア溢れる随筆など多くの著作で知られる文学者、内田百閨k明治22年(1889)〜昭和46年(1971)〕著の随筆「ノラや」(中公文庫)は、百關謳カが愛猫ノラ失踪と、新聞に英文広告まで掲載するなど、あらゆる手を尽しての捜索の顛末を綴った随筆です。ノラが失踪して8年後、百關謳カは『八年過ぎてノラはまだ帰らない。ノラはきっとまだ、どこかで生きている。今に帰って来ないとは限らない。彼の失踪当時、鹿児島県の人から、気を落とさずにノラの帰って来るのを待てと慰めてくれる手紙を貰った。その人の家の猫は失踪後八年目に帰って来た。…猫は我々の身辺にいる小さな運命の塊の様なものである。』と書きます。昭和43年、79歳の時書いた随筆「ピールカマンチャン」では、『今更帰って来たら、猫の事だからそれこそ今の私にまさるじじいになっているに違いないが、それでも構わないから、今日にも帰って来ないかと待っている。』と断ち切れぬ思いを綴ります。巻末の平山三郎さんの解説に、晩年の百關謳カの思い出として、『その時分、先生のお膳に坐って御馳走になっていると、前後のつながりは何もなく、とつぜん、ノラやノラや、と先生が調子をつけて呟き出したのを思い出す。呪文のようなその呟きが、まったく意味のない口癖であって、あ、また始まったなと思う……』とあります。老百關謳カの悲しいけれども、情愛に満ちた思いの深さを感じます。
なお内田百閧ノは、漱石の「吾輩は猫である」のその後の吾輩の生活を記述した『贋作吾輩は猫である』と題するパロディがあり、筑摩書房より『ちくま文庫/内田百闖W成8』として2003年に刊行されています。水がめに落っこちた吾輩が酒好きのドイツ語教師、五沙弥先生の家の猫になり、風船画伯、役人の出田羅迷、新進作家の飛騨里風呂など、ひとくせもふたくせもある風流人たちが繰り広げる珍妙な会話を聞くという、ユーモアたっぷりの「吾輩は猫である」の続編です。
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「海ちゃん」(岩合光昭写真・岩合日出子文/新潮文庫)
動物写真家岩合光昭、日出子夫妻の家に品川のお寺から貰われてきた美人猫「海ちゃん」の一生を、愛情溢れる写真と文章で綴った写真集です。「海ちゃん」の仔猫から少女、そして母親になって行く16年間のひたむきな「生」の記録が、素敵な写真と軽妙なコメントによって描写され、読者の心をとりこにします。
『ザブーン、ザブーンとくりかえす波の音がどうにもがまんできません。わけがわからなくてビクビクして、こんなふうに平たくなりました。海はボートの陰にかくれます。“早くなんとかしてくれないかしら…”と考えていたんでしょう。』海に出かけた海ちゃんの姿を描いた文章の一節です。「海ちゃん」は海が嫌いだったのですね…。
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「100万回生きたねこ」(佐野洋子作・絵/講談社刊)
「どうして生きていなければいけないの」と問いかける若者たちが増え、自分を傷つけたり、簡単に死を選んでしまう若者がいます。生きることと、死ぬことの意味について考え、愛の尊さ哀しさに気づかせてくれる素晴らしい絵本『100万回生きたねこ』(佐野洋子作・絵/講談社刊)を読みました。トラネコが初めて愛することを知った相手の「白いねこ」が死ぬ場面では、悲しくて涙が止まりませんでした。個性豊かなイラストも満載、まだ読んでいない人はぜひ読まれることをお薦めします。
 ノンフィクション作家柳田邦男氏が、この絵本について、『道元を語る』(かまくら春秋社刊)に感銘深い一文を書いているのを思い出し、少し長いのですが以下に紹介します。
 「佐野洋子さんの絵本の名作『100万回生きたねこ』を久しぶりに読み返し、思いがけない気づきが生じたのだ。王様にかわれても美少女にかわれても乞食にかわれても、誰をも愛することなく死んでは生き返ってきた傲慢なトラネコが、美しい白ネコに出会い、はじめて愛を抱き、幸せな家族をつくる。ところがその矢先に、白ネコに先立たれてしまう。息絶えた白ネコを抱いて泣き続けたトラもそのまま死んでしまう。が、今度は二度と生き返らなかった。最後は言葉のない野の風景で終わっている。
 他者を愛しやさしくなることを知ったトラは、なぜ今度は生き返らないのか。いまこそ生き還って、子どもたちをやさしく育ててほしいではないか。なぜ最後は野の風景なのか。私は何日も考えた。私の結論はこうだった。人を愛するとは、権力や財力や地位といった世間的な価値と関係なく、人が上下なく同じ地平に立って他者と裸で向き合うことだ。であるなら、その身にはみんなと同じように平等に死が訪れる。しかし、その人の美しい魂は自然界に還り、野の風景にとけこんでいつまでも生き続けるのだ。」
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「猫への詫び状」(香取章子著/新潮社刊)
香取章子著「猫への詫び状」(新潮社刊)は、猫と深い愛と絆で結ばれた各界の人たちが、どのように猫と出会い、別れを迎えたのか、その惜別の物語です。愛猫を亡くした時、飼い主は「あの時ああしていれば良かった」「もっと早く気がついていればこんなことにならなかったのに…」と激しく悔やみ、自責の念に苛まれます。本書の19の物語から伝わってくるのは、そんな悲しみと悔い、そうして愛するものたちへの「命」のいとおしさとかけがえのなさです。本書のあとがきで香取さんが述べている、「ひとつの命に対して終生、愛情と責任を持つことが、どれほど人生を豊かにしてくれるか」という言葉を噛みしめながら…。
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「晴れ ときどき猫背」(村山由佳著/集英社刊)
『星々の舟』で第129回直木賞を受賞した作家、村山由佳著『晴れ ときどき猫背』(集英社刊)を読みました。豊かな自然に囲まれた千葉県鴨川で田舎暮らしを始めた村山さん夫妻に起った、2年半ほどの出来事を綴ったエッセイ集です。大の猫好きの村山さんと、猫が大嫌いだったご主人の取り合わせも面白く、迷いこんできた猫と生きものたちとの暮らしが、時にユーモアをまじえて生き生きと描かれています。生きものたちへのひたむきな愛情が、読む者の心に温かい感動を誘います。猫を飼っていて経験する様々な問題が、この国の劣悪な動物事情に触れながら、「猫にとって幸せな暮らしとは?」について深く考えさせられます。可愛い猫たちの写真も満載、素敵なエッセイ集です。
『今、ワタクシ村山は思うわけであります。「晴れ ときどき猫背」と。そう、人生、そうそう晴れの日ばかりじゃない。時にはつらいことだってめぐってくる。けれど、雨の日の猫みたいに、背中を丸めてつらいことをやり過ごしたその後には、ちゃんと嬉しいことが待っているものなのだ。たとえそれが「猫背 ときどき晴れ」くらいの割合だったとしても、とにかく必ず。』
村山さんのサイト『晴れ ときどき猫背』では、本書に登場する猫"真珠"ちゃんと子猫たちのスクリーンセーバーがダウンロード出来ます。
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「ゴキの墓に」(龍膽寺雄著/昭和書院刊『龍膽寺雄全集』第7巻所収)
昭和初期にモダニズム文学の代表的作家として活躍した龍膽寺雄が、愛猫ゴキの死に際して贈った詩『ゴキの墓に』を読みました。1992年に91歳で亡くなった龍膽寺雄の周りには、つねに何匹かの猫がいたそうですが、とりわけ愛猫ゴキが1963年末に2歳半で死んだ時の嘆きの深さは読む者の心を打ちます。ゴキのお通夜をしながら、一気に書かれた全文二百行に及ぶ詩は、『龍膽寺雄全集』第7巻(昭和書院刊)に収められています。読み進むうちに、ゴキの死に遭って嘆き悲しんでいるのは自分であるかのような気がし、ゴキに寄せる愛情の深さ、別離の哀しさが惻々と胸に伝わってきます。食欲のなくなったゴキにスプーンを使って「卵の黄身と牛乳と砂糖のまぜあわせ」を無理にでも食べさせることの難しさなど、三ヶ月に亘る介護の様子と、その最後を看取った龍膽寺とゴキの切なく濃密な感情の交感に、現代社会で忘れられようとしている終末期介護の本来のあり様を見る思いがします。次に掲げるのは詩の抜粋です。
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「猫たちの9つの感情」(ジェフリー・M.マッソン著・古草秀子訳/河出書房新社刊)
『ゾウがすすり泣くとき』『犬の愛に嘘はない』などの著書で、動物の豊かな感情を探求して、多くの読者から好評を得たアメリカの精神分析学者ジェフリー・M・マッソンの近著『猫たちの9つの感情』(古草秀子訳/河出書房新社刊)を読みました。著者マッソンは1941年シカゴ生まれ、カリフォルニア州バークレーからニュージーランドに移り住んで、オークランド近郊の海岸沿いのジャングルを思わせる亜熱帯雨林に囲まれた大自然の中で、家族と5匹の猫たちと暮しています。猫には9つの感情(自己愛、愛、満足、愛着、嫉妬、恐れ、怒り、好奇心、遊び好き)があると言う著者が、それぞれの感情について謎と興味に満ちた猫たちの秘められた感情世界を鋭く探求しています。マッソンの愛情あふれる緻密な観察から、人生の伴侶たる猫の心をあらためて見つめなおし、人と猫との強い絆を見直す機会を与えられるユニークな猫本です。
以下は「満足」─猫が教えてくれる完璧な満足感─から。
「猫は未来を考えはしない、たとえすぐ先の未来であっても。猫はつねにそのときそのときを感じることで、精神的エネルギーを使いはたしている。彼らは危機に遭えば身構えはするが、災害が起こるのではないか、死が訪れるのではないかと心配したりはしない。過去を思い返してあんなことをしなければよかったと後悔したり、罪の意識におののいたりすることもない。いってみれば、自分自身を完璧な存在と感じている。おそらく、禅宗の僧堂でしばしば猫が飼われていたのはそのせいなのかもしれない。猫の禅とでもいうようなものがあるように思われる─自我没頭の境地、自己の万能に驕ることなく、ただひたすら自然の秩序を受け入れている。おだやかさと静けさと安寧と、陽光あふれる物憂さと、生命のすばらしさとがないまぜになった、最良の世界では、すべてが正しい。そうした境地はもっとも自然な形の満足であり、猫はその自然さゆえに、一段優位にいるのではないかと思えることがある。きっと猫は私たちにこう教えているのだろう。こうして夢中になって、ひとときひとときを完璧に生きれば、そのひとときは永遠につづく、と。」
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「魔法の国からの使者」(カプッツォー夫妻編著・中村保男訳/飛鳥新社刊)
アメリカの人気動物コラムニスト、カプッツォー夫妻マイケルとテレサ編著『魔法の国からの使者』(中村保男訳・飛鳥新社刊)を読みました。原作は『猫が私のハートをつかんだ─智恵と希望とパーフェクトな愛≠フ諸篇』で、パーフェクトの中の「パー」は猫が喉を鳴らすときの英語音だそうです。本書はその中から56篇の珠玉のアンソロジーを選び、労り、純愛、喝采、感涙、痛快、敬慕、英雄、癒し、神秘、別れ、の十章に纏められています。「愛の伝授」「母猫と消防士」などの心うたれる話、ほのぼのとした「猫たちを救う犬」の話、空を飛んだ冒険猫の愉快な話、愛猫との哀切きわまりない別れを綴った「世界一の猫」など、猫と人との愛の絆を語った実話や短編が集められています。英国の著名な獣医師ジェイムズ・ヘリオットの名篇「バスター」が「レトリバー猫」と題して載せられています。
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「わたし、猫語がわかるのよ」(日本ペンクラブ編/光文社刊)
「わたし、猫語がわかるのよ」(日本ペンクラブ編/光文社刊)は、可愛いだけでなく、人生のパートナーとして苦楽を共にする猫たちの神秘に満ちた魅力を、27人の著名人が語るエッセイ集。心に沁みる話から、抱腹絶倒する愉快な話まで、溜息をついたり、心痛めたり、ニンマリしたり、温もりが一杯つまっている猫本です。猫との暮らしの中で見せる作家たちの、意外な一面を垣間見ることができるのも楽しいです。
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藤田嗣治画文集「猫の本」(講談社刊)
エコール・ド・パリの大家で、こよなく猫を愛した日本人画家、藤田嗣治の画文集『猫の本』(講談社刊)を書店で見つけ購入しました。「女と猫を描くのはどんな関係ですか?」と聞かれ、「女にヒゲとシッポをつければ、そのまま猫になるじゃないですか」と答えた藤田画伯。約90点の猫の絵とエッセイが収録され、猫の魅力が余すところなく描かれています。
「盛り場から夜遅くパリの石だたみを歩いての帰り道、フト足にからみつく猫があって、不憫に思って家に連れて来て飼ったのが1匹から2匹、2匹から3匹となり、それをモデルの来ぬ暇々に眺め廻し描き始めたのがそもそものようです。ひどく温柔(おとなしや)かな一面、あべこべに猛々しいところがあり、二通りの性格に描けるので面白いと思いました。」(『巴里の昼と夜』1948年)
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「さよならエルマおばあさん」(大塚敦子=写真・文/小学館刊)
ある日、エルマおばあさんはいいました。「わたしの命は、あと1年くらいだろうから、いろいろ準備をはじめないとね…」
『さよならエルマおばあさん』(大塚敦子=写真・文/小学館刊)は、多発性骨髄腫という血液のガンで、もう長くは生きられないと知らされたエルマおばあさんが亡くなるまでの日々を、愛猫スターキティの目を通して語っています。アメリカを拠点に死と向き合う人々の生き方、自然や動物との絆がもたらす癒しなどをテーマに取材を続けるフォトジャーナリストの大塚敦子さんが、エルマおばあさんが亡くなるまでの最後の2カ月間を写真で記録したものです。カメラは、死が訪れるまでの身体の変化や、在宅ホスピスのケアーを受けながら安らかに最後の日を迎えるエルマおばあさんの姿をリアルに写し出しています。そこには、おばあさんの家族とスターキティへの深い愛情と思いやりが感じられます。家族はその思いやりを、おばあさんからの「最後の贈りもの」と呼んで、今も感謝しています。「このように明るい、さわやかとも言える締めくくりを迎えることができたのはなぜでしょうか。それはなによりも、エルマおばあさん自身が最後まで自分らしく生きたこと、そして家族がそんなおばあさんの意思をだいじにし、支えたからではないでしょうか…」大塚さんのこの言葉から、「終末期のケアーはどうあるべきか」「どのように自分の死を迎えるか」について家族みんなで考え、話し合うことはとても大切なことだと思います。
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「ジェニイ」(ポール・ギャリコ著・古沢安二郎訳/新潮文庫)
無類の猫好きとして知られるニューヨーク生まれの作家、ポール・ギャリコの書いた猫を主人公とした小説『ジェニイ』(古沢安二郎訳・新潮文庫)は、世界中の読者に愛されています。「わたしの小説の中では猫について書いたものが一番気に入っている」と作者自身言っているとおり、猫にたいする深い愛情と生活から生まれた素敵な作品です。ある日突然真っ白な猫になってしまったピーター少年が、優しい雌猫ジェニイとめぐり会い、二匹の猫は恋と冒険の旅に出発します。著者ギャリコのジェニイに寄せる永遠の憧憬が読む者の胸に迫る感動的な猫物語です。
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「Dear,こげんた」(mimi著/ハート出版刊)
平成12年5月に福岡市で発生したインターネットによる猫虐殺中継事件は、動物の好きな人にとどまらず、良識ある多くの人たちに大きな衝撃を与えました。極めて残虐で社会的影響が大きいことから、マスコミ各社にも大きく報道され、それまで動物愛護運動や活動に縁のなかった人たちまで含んで、犯人の逮捕、起訴を要求する署名活動など草の根的な運動が全国的規模で広がりました。
 こげんたと名付けられた猫の虐殺事件は、その後も日本各地で多発する動物虐待の実態に目を向け、「動物の愛護及び管理に関する法律」(動物愛護法)の再改正を要望する運動にまで発展し、日本の愛護運動の歴史的原点とも言える事件となりました。
 私にとっても、この事件は生涯忘れることの出来ない悲しい思い出となり、今もこげんたちゃんのつぶらな瞳を瞼に浮かべる度に、新たな涙が頬を伝わります。
 サイト「Dear,こげんた」を立ち上げられたmimiさんとスタッフの手で、「Dear,こげんた」が書籍化され、平成16年7月ハート出版から発売されました。事件発生から犯人の逮捕・起訴・判決に至る経緯と、こげんたちゃんに寄せられたメールや掲示板の書き込み、イラストやエッセイなど、みなさんの熱い思いと願いが込められた素敵な書籍で、出版が待望されていたものです。著者のmimiさんは、人と動物が共生する優しい社会を築くため、「命の尊さを次世代に伝えるため、私たちに何が出来るのか?皆で考えていくきっかけとなれば─」と、出版を決意されたいきさつについて述べられています。本書の印税は、こげんたちゃん基金として、今後の活動の展開の助けに使われる予定です。子供から大人まで一人でも多くの人が本書を読まれ、こげんたちゃん事件について知っていただくよう願っています。
「Dear,こげんた」出版の詳細はこちら
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「猫の話」(猫びより編集部編/日本出版社刊)
17人の著名人が猫に寄せるそれぞれの想いを綴ったエッセイ集『猫の話』(「猫びより」編集部・編/日本出版社刊)を読みました。猫と人が交わす濃密な感情が、読者に温かく伝わってきます。
 料理研究家、小林カツ代の「娘の選択」は、右前足を輪ゴムでぎりぎりと巻きつけられ腐ってしまったため、手術で足を切断された捨て猫を貰い受けたお話。猫アレルギーの症状で苦しみながら、娘さんは「私ね、ずーっとずーっと苦しくてもいいの。だから、絶対どこへもやらないでね」と、眼に涙をいっぱい溜めながら、母親の小林さんに懇願します。虐待の後遺症のため、短い生涯を終えた時、「足のない方をかくすようにして、まるで4本の足がきちんとあるかのような姿でした。」という最後の個所を読むと、悲しさで胸がいっぱいになります。
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「心に残る7匹の猫」(ジョー・クーデア著・羽田詩津子訳/早川書房刊)
劇作家でジャーナリストのジョー・クーデア著「心に残る7匹の猫」(羽田詩津子訳/早川書房刊)は、ともに暮らす猫たちとの生活を温かい共感と愛情を込めて綴ったエッセイです。都会の生活に疲れた女性作家が、美しい自然に囲まれたとある田舎町で7匹の猫との協同生活をはじめました。陽気でおしゃべり好きな雑種のビティ、誇り高いペルシャ猫ケイト、賢くやさしい黒猫ソクシー…。個性豊かな愛猫たちの暮らしぶりの中から彼女は、自分らしく生きるために大切なさまざまなことを発見していきます。著者のクーデアはニュージャージー州の丘陵地帯に6匹の猫と1匹の犬とともに暮らしながら、「リーダーズ・ダイジェスト」「ウーマンズ・ディ」などの雑誌を中心に幅広い執筆活動を展開しています。「生きることについて多くのことを猫から学んだように、死ぬことについてもいろいろ教えられた。その大半は自然界における老齢と死だが、死に様は性格に一致するということも悟った。強い精神力のケイトは最後まで闘おうとした。やさしいソクシーは自ら身をひき、静かに去った…」終章に書かれた文章は、人生への深い洞察に富んでいます。
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「キャット・ギャラリー/猫の贈りもの」(深大寺かおる・文/小学館刊)
西欧の名画に描かれた猫たちを収録した「キャット・ギャラリー」(深大寺かおる・文/小学館刊)は、猫たちがどんなふうに愛され描かれてきたか、猫と人との営みをめぐる魅力溢れるアート絵本です。本書には23枚の絵が収録されていますが、パロディ画ではなくオリジナルなので、画家の猫に寄せる想いがよく伝わってきます。
19世紀後半にパリで活躍した風俗画家、スランタンのポスター2枚(「殺菌牛乳のポスター」「キャバレー”シャ・ノワール”の巡回公演ポスター」)が収録されているのも嬉しいです。(「殺菌牛乳のポスター」は『とよかず猫館』に掲載)
深大寺さんのエッセイと解説がとても洒落ています。次は「膝の上の異界」からお終いの一節で、心温まる文章です。
『膝の上の異界。ふわふわとしたあたたかな命の充実のなかに、猫は、騒がしい外の世界とは別の、静かな遠い場所をひそませている。だから私たちはただ、そのやわらかな海に浸ればよい。そうすれば猫は、今ここで生きていることの悦ばしさを思い出させてくれる。なんの変哲もない野原が、ほんとうはどんなふうに輝いているか教えてくれる。そして、小さな奇蹟を秘めたまま、ある日ふっとこの世界から去ってゆく。だから─。
だから、願わくば、すべての猫に幸いがありますように。そして猫たちが、私たちの魂の航路を、明日も見守ってくれますように。』
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「黄昏の猫たち」(サマンサ・ムーニー著・宮下嶺夫訳/めるくまーる刊)
「黄昏の猫たち」(サマンサ・ムーニー著・宮下嶺夫訳/めるくまーる刊)は、ニューヨーク市マンハッタンの有名な動物病院「アニマル・メディカル・センター」で働く女性が書いた、優しく心あたたまる物語です。著者サマンサはこの病院の腫瘍科に所属し、もっぱら、癌を病む猫たちの面倒を見ています。サマンサをふくむ腫瘍科のスタッフが、病気の猫たちを懸命に治療し、介護し、小さな患者のそれぞれの運命に悲しみ喜ぶありさまが、やわらかな文章で綴られています。
病気という角度から猫との交流を描いた点で、この本はユニークな価値をもっています。著者自身をはじめ、この本に描かれる医療関係者の、動物の命にたいする真摯な態度には、とくに猫好き、動物好きでない人でも感銘を覚えずにはいられないでしょう。動物を愛することは、ただ動物が元気なかわいらしいときだけのものではない、彼らが病んだり老いたりしたときにこそ愛が必要─という忘れられがちな道理を、この本はさりげなく語っているようです。癌や死とまともに向かい合った書物の多くがそうであるように、この作品にも、ふしぎな明るさがただよい、読後感はさわやかです。
アニマル・メディカル・センターの患者猫ばかりでなく、サマンサが自宅で飼っている病院外の猫たちも登場しますが、病気の猫も元気な猫も、みんな個性豊かです。とりわけ、クランシー、ナターシャ、ダフネ、フレーダーマウスなど、たいへん心に残るキャラクターと言えそうです。(「訳者あとがき」より)
『わたしの喜びのなかに、最も深い悲しみのなかに、彼女は生きている。猫を愛する人の瞳のなかに、彼女は影を宿している。そしてときどき、秋の日に宵闇が迫るとき、大気が雨の気配に満ちているとき、そんなとき、わたしは、近くにいる彼女を感じる。この瞬間、記憶と感覚は調和し、思い出は混じり合い、時間はどんな意味ももたない。わたしのそばで、風がたゆたい、わたしをいざなって、時間を超えた遠い秘密を分かち合おうとする。…彼女がいる。そばにいる。幻ではない。わたしの顔の涙に溶け込む雪と同様に現実だ。が、いったんふれようとすると、もう少しだけ引きとめようとすると、彼女は消える。…彼女は、わたしの手に舞いおりた、ひとひらの雪。ふと口ずさんだメロディーのひと節。はかなく、とらえにくい、言葉のない歌、終わりのない歌だ。わたしがふたたび別れを告げるとき、わたしの影のようなものが去りゆくとき、どこか離れたところで、一匹の黒猫が窓敷居にとびあがり、朝の太陽にあいさつする。彼女は思いきり体を伸ばし、のどを鳴らす。』サマンサが愛猫フレーダーマウスに捧げる文章の一節です。
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「猫に名前はいらない」(アンドリュー・N.ウィルソン著・小竹由美子訳/白水社刊)
イギリスの作家、アンドリュー・ノーマン・ウィルソン著「猫に名前はいらない」(小竹由美子訳/白水社刊)は、ユニークな猫の自叙伝。猫好きらしく語り手にすえたのは、まわりの人間たちからパフテイル(ふさふさしっぽ)と呼ばれる、大きなしっぽが特徴の灰色がかったトラ猫です。もっとも、猫らしい猫として自由気ままに生きている彼に、本来名前などありません。名前をつけるというのは、人間の得手勝手な傲慢さや所有欲のあらわれです。「猫に名前はいらない」のです。
各地を転々とさすらって老いを迎えたトラ猫のおじいさんが、生涯を振り返り、孫に「生きる」意味を語ります。鋭い人間観察、受け継がれる「生と死」の不思議さ。本書は猫の視点で語られた生命への讃歌と慈しみが胸に響く感動の物語です。
猫好きのやさしい人間ともめぐりあいますが、一方で、身勝手な人間から酷い虐待を受けたり、動物実験に遭ったりと、悲しく辛い体験を重ねるパフテイル。猫の暮らしには、死と別れがつきものですが、とりわけ、パフテイルが最愛の彼女タミーを自動車事故で失う場面は、涙なしに読むことはできません。
『わたしたちは通り過ぎていってしまう。でも、わたしたちは新しい子供を産むでしょ。花はしおれて枯れる、木は葉を落としてしまう、でも、新しい年がくると、新しい葉っぱや新しい草や新しい子猫がいるでしょ。年とったものは死んでいくの。そのことはちゃんとわかってなくちゃ。』タミーが語る言葉が深く心に沁みます。
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「猫j辞苑」(えびなみつる・画と文/詳伝社刊)
犬と並んで人の暮らしに最も近い動物である猫は、さまざまなたとえや諺に使われてきました。「猫辞苑」(えびなみつる・画と文/詳伝社刊)は、副題に現代「猫語」の基礎知識とあるように、猫にまつわる100語を厳選し、ユーモラスに解説した瀟洒な装丁のポケット辞典。漫画家えびなみつる氏の描くイラストが可愛く、昔から伝えられてきた諺から最近の猫語に至るまで、簡潔で丁寧な解説を読めば目から鱗が落ちたよう。表紙のイラストは『猫の額』で、場所がきわめてせまいことのたとえ。一読すれば猫語のオーソリティになれそうです。帯に書かれたアルベルト・シュバイツァーの言葉「人生の辛苦から逃れる道はただ二つ。それは音楽とだ!」に共感!
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「猫にかまけて」(町田康著/講談社刊)
作家、歌手、詩人として活躍する町田康が、愛猫ココア、ゲンゾー、ヘッケ、奈奈との交流を、時には可笑しく、時には悲しく、文章と著者自身の写真で綴ったフォトエッセイ。とりわけ悲惨な状態で保護され、町田氏の必死の看護も空しく14ケ月の短い生を終えたヘッケと、22歳の天寿を全うしたココアとの闘病生活が、読む者の胸を強く打ちます。『いつも側にココアやゲンゾーたちがいた。どうでもいいようなことで悲しんだり怒ったりしているとき、彼女らはいつも洗練されたやりかたで、人生にはもっと重要なことがあることを教えてくれた。』との著者の言葉には、今を精一杯生きる小さいもののひたむきな眼差しから、誠実に生きることの大切さを教えられるように思います。いつかは別れなければならない愛猫たちだからこそ、彼らと最大限楽しく愉快に生きることができるように配慮し、もともと身勝手でわがままな性格はどうにもならないにしても、他者を思いやる寛やかな心を持ちたいものだと思います。
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「熊谷守一の猫」(熊谷守一著/求龍堂刊)
熊谷守一の描く猫たちは、ただひたすらに平凡で幸せ。童心でみつめた小さな命が息づいています。詩人長田弘の解説(平成16年12月7日付け「中日新聞」掲載)は、本書の魅力を余すところなく伝えています。
★「小さな本の大きな世界」手元に置きたい本/長田弘
ふとしたときに、きっと開きたくなる本。だから、いつでも、手のとどくところにおきたい本。その本を手にして、ゆっくりページをめくってゆくと、ふっと心のこわばりが溶けてきて、自分の時間がとてもゆっくりと感じられてくるような本。『熊谷守一の猫』(求龍堂)は、画集でもあれば絵本でもある、不思議な魅力をもつ本です。
画家熊谷守一(1880−1977、岐阜県付知町出身)は、この国の近代絵画にあって、われ一人ゆく生き方をくずさずに、ゆったりと独自の絵の世界をつくった人。自在な境地に生きた画家が暮らしを共にした「自由な猫たち、八十匹」を描いた絵を、油彩、水墨、デッサン、走り描きまでみんな集めて、新しく編まれた愛すべき小さな本が『熊谷守一の猫』。
寝ている猫、真っ白な猫。草色の目をした猫。茶色の目をした猫。ぶちの猫。まっすぐなしっぽの三毛猫。しっぽだけ青い猫。花の下で眠る猫。アジサイと猫。立ちあがった猫。歩く猫。目を光らせた野良の子猫。身がまえる猫。黒猫。おどろいた表情の猫。いぶかしい顔の猫。そして、なぜか絵のほとんどが、ひげのない猫。
もっとも印象的な猫は、画家がとくに面倒をみていたという目の見えない三毛の牝猫。その猫を膝にのせた画家の写真が、「画室の熊谷守一」として口絵に使われています。そうして、その写真のなかで、目の見えない猫と、やわらかなまなざしをした画家とは、いっしょにおなじ方向を見つめています。
目の見えない猫が見えない目で見つめていたものを、画家はその猫の絵に、簡潔に、色あざやかに描きつくします。その猫の絵から、いまでも伝わってくるぬくもりは、この画家が最後まで失うことのなかったやさしさのぬくもりです。昼寝をするときも、その猫と画家はいっしょでした。その猫と画家の昼寝の写真がまた、微妙な傑作!
八十七歳のとき文化勲章辞退。九十二歳のとき勲三等辞退。「川には川に合った生きものが住む。自分の分際を忘れるより、自分の分際を守って生きたほうが、世の中によいと私は思うのです。いくら時代が進んだっていっても、結局、自分自身を失っては何にもならない。」「自分の分際」とは、この画家にとっては、「自由人であること」でした。
オマケが一つ。このすべて猫の絵の本には、鼠の絵が一点、隠されています。
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「吾輩も猫である」(森本哲郎著/清流出版刊)
前口上によると、なぜ「吾輩も」なのかといえば、いまからちょうど百年前の明治三十七年に漱石なる作家が、『吾輩は猫である』という小説とも身辺雑記ともつかぬ滑稽味を帯びた作品を発表して、それが大評判になり、いまなおその題名を知らぬ日本人はほとんどいないという有様だから、それにあやかったのである。─とあるように、本書は夏目漱石の名作『吾輩は猫である』のパロディです。著者はフリーのジャーナリストとして世界各国を歴訪し、文明批評や旅行記などの著述を中心に活躍する森本哲郎です。
漱石の猫が「吾輩は猫である。名前はまだない。」のに対して、「吾輩も猫である。名前は小次郎という。」とあるように、本書は著者(主人)の家に飼われ、吉川英治著『宮本武蔵』の美剣士から名づけられた、アビシニアンとシャムの混血の由緒ある猫、小次郎が語り手となって、平成の現代社会をあるときは愉快に、あるときは辛辣に風刺観察しています。ユーモラスでありながら、同時に深い人間洞察に富んでいるところは、現代に生きる私たちにとって、漱石の猫以上に共感を呼びます。主人の家には吾輩の小次郎のほか、アメリカン・ショートヘアの武蔵、捨てられていたところを拾われた和猫の伊織、同じく助けられた黒猫の大和などの猫たちが居ます。
団塊世代の新聞記者山吹君、古書マニアの川中島夫、小出版社の社長丸石統、カメラマンの紋付一馬、新聞記者で熱血漢の布施定、禅寺の住職真坂和尚など、個性豊かな人たちが主人のサロン『臥猫窟』を取り巻き、彼等の交わす談論が小次郎によって的確に捉えられ批評されていくところがとても面白く、抱腹絶倒したり、不条理な人間社会が直面する問題の深刻さに心底心配させられたりと、時間の経つのも忘れてしまいます。
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武田花写真集「猫・陽のあたる場所」(武田花・写真と文/現代書館刊)
放し飼いの猫たちも、野良猫たちも、路地裏や民家の庭を自由に徘徊していた昭和は、猫にも人にも優しくおおらかな時代でした。武田花写真集「猫・陽のあたる場所」(現代書館刊)は、今は失われた昭和四十年代の、東京の町にとけこんだ猫たちの写真集です。個性豊かな猫たちの表情を見ていると、過ぎ去った日々の思い出が懐かしくよみがえります。猫に似合った風景と、様々な人々との出会いが、昭和のノスタルジーを誘うユニークな写真集です。
知り合った七十ぐらいのお婆さんが娘さんと二人住みついている、今昔物語に出てきそうな荒れ寺に泊めてもらった時の話を読むと、微笑ましくなります。
「こたつに入って横になると、Aさんが厚い重い布団をありったけかけてくれる。布団の上に十匹位の猫が塊のようになって乗る。寒いので猫の上に猫が乗る。下の猫は苦しくなると出てきて、上の猫の上に乗る。端になった猫は寒いので乗りなおす。という具合に一晩じゅう猫の動く気配が胸の上でして眠れなかった。」
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「猫」(大佛次郎/谷崎潤一郎/寺田寅彦/柳田國男他著/中央公論新社刊)
大正・昭和に活躍した11人の作家たちが、愛おしい猫たちに寄せる思いを綴った珠玉の随筆集。昭和二十九年に中央公論社より刊行された『猫』に、クラフト・エヴィング商會の創作・デザインを加え、新たに再編集したものです。半世紀の時をこえて幻の猫たちが現代によみがえります。どのエッセイも懐かしく興味深いものですが、四十歳を過ぎてから猫に魅せられた寺田寅彦の「子猫」には、とても印象に残る一文があります。
「私は猫に対して感ずるやうな純粋な温かい愛情を人間に対して懐く事の出来ないのを残念に思う。さういふ事が可能になる為には私は人間より一段高い存在になる必要があるかも知れない。それはとても出来さうもないし、仮にそれが出来たとした時に私は恐らく超人の孤独と悲哀を感じなければなるまい。凡人の私は矢張り子猫でも可愛がって、そして人間は人間として尊敬し親しみ恐れ憚り或いは憎むより外はないかも知れない。」
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「ニッポンの猫」「地中海の猫」(岩合光昭・写真と文/新潮社刊)
大自然のなかで暮らす野生動物を撮り続ける写真家、岩合光昭の猫写真集から、「ニッポンの猫」と「地中海の猫」(岩合光昭・写真と文/新潮社刊)を取り上げました。風景のなかに溶け込む猫の自然な姿を、絶妙なコメントとともに味わうことができます。「ニッポンの猫」は都市に住む猫より、離島や田舎に住む猫の自然でおおらかな姿に魅力を感じます。「地中海の猫」には、イスタンブールのワン湖で泳ぐ猫(地元ではワンネコと呼ばれている)の素敵な写真が収められています。この猫について岩合さんは、『一匹の猫に出会った。目が大きくて、鼻がぽっちりとつまり、話しかけると目をしばたいて、びっくりした顔をした。いまはもうこの世にいない「海ちゃん」にどこか似ている。「海ちゃん」はぼくの本「海ちゃん」(新潮文庫)のモデルになってくれたメスネコだ。そもそも、トルコのネコをイメージしてようやく探し当てたネコだった。』と書き、愛猫「海ちゃん」への想いの深さを偲ばせます。